見出し画像

先輩「小学生の塾代年間100万円かかってさ」私「ひゃ、百万円ですか!?」

先日先輩たちと飲みに行った際にこんな話を聞いた。

先輩「小学4年生の子どもの塾代、年間100万円かかるんだよね」

私「ええー!?お子さん2人いましたよね?」

先輩「そうなんだよね。2人目はまだ2年生だから4年生から塾通わせるとまたお金かかるな―」

その飲み会は40代後半の方たち3人と私の4人の飲み会だったのだが、私以外全員中学受験を控えたお子さんがいる。

そして3人とも塾代が高額な話をしていた。

話を聞いてみると塾の先生の話術は大したものだった。先輩のお子さんが小学3年生のとき、中学受験に向けて塾にいつ入れたらいいか塾の先生に相談していたのだとか。

先輩「中学受験に向けてどのタイミングから入れたらいいか悩んでるんですよね。」

先生「小学6年生になって中学受験を希望される親御さんもいますが、正直言ってそのタイミングでは遅いですね。子どもが6年生になったとき中学受験を希望してもその選択肢が無かったらかわいそうじゃないですか?」

先輩「子どもの選択肢の幅を狭めるのもかわいそうですもんね」

飲みに行った先輩たち3人ともそんな話術に影響されて子どもたちを塾に入れたそう。

私は中学も公立で高校は公立を志望していたが、頭が悪く受験に落ちたためしぶしぶ私立に行ったタイプだ。そもそも貧乏な家庭だったので中学受験なんてありえなかった。でも先輩たちの話を聞いてみると、当社は裕福な家庭で育った人が多いことがわかった。

3人とも中学受験をして私立中学に入った。先輩の一人が面白い話をしてくれた。

先輩「俺さ小学4年生から中学受験の勉強を毎日22時ぐらいまでしていてさ。小学校の思い出って勉強と日々眠かったことしかないんだよね(笑)」

私は心の中でこんなことを思った。

私「(お子さんもそのコースに進むと小学校の思い出が勉強と日々眠かっただけになるのでは?はて?)」

そんなことを言うと嫌われるのでグッとこらえていたのだが、自分の子ども時代とは全然違うなと思いながら聞いていた。

たぶん私の両親の教育は変わっていたのだと思う。

母はよく言っていた。

「小学生の時は遊びが仕事だよ!」

私はその言葉を真に受けて本当に365日毎日友達と遊んでいた。今振り返ればやりすぎでは?と思うこともあった。

小学生になるとみんな習い事を始める。習字やそろばん、塾、ピアノなど。習字やそろばんはみんな行っていたので友達が羨ましくある日母に聞いてみた。

私「習い事したいんだけど」
母「そんなことより外で遊んでおいで」

数日たつと習い事をしたい欲はなくなりまた外で遊ぶようになっていたのだが、小学校の高学年になるとひとつの問題にぶち当たった。

私以外に習いごとをしていない友達はいわゆるヤンチャな子しかいなかった。だってまともな家庭の子たちは習い事が忙しく遊び相手になってくれなかったからだ。

友達がヤンチャだとそれはそれで問題が発生する。悪いことばっかし始めるのだ。今でも父が笑いながらこんなことを話す。

父「おまえの子ども時代、何回校長室に呼び出されたか分からへん(笑)」

確かに校長室に呼び出された回数を記憶があるだけ数えてみても、両手ではおさまらない。また運の悪いことに私の地元は昔は漁師町だったので気性の荒い子たちが多かったのも理由のひとつだ。

そんな地元だったのでまたまた運の悪いことに小学校の高学年は学級崩壊だった。授業中に紙飛行機が飛び交ってプロレスが始まって、枕を持ってきてベランダで寝ている子たちもいた。

動物園のできあがりだ。

その流れのまま中学に入り私は悪い友人たちとつるんでいた。あれは忘れもしない中学1年生の夏休み。部活の3年生の先輩たちの最後の大会の日だ。

大会の会場に向かうとき私の友人が寝坊した。私は友人を待って遅刻しそうになった。会場の最寄りの駅に到着した時間は集合時間に間に合うかぎりぎりだった。会場までは歩いて30分。友人は自転車置き場の自転車を見てこんなことを言いだした。

友人「チャリパクるか」

さすがにまずいような気はしたが時間もぎりぎりだったので私と友人は盗んだチャリで2人乗りして会場に向かった。会場に向かう途中、先に向かっていた先生に出会った。

普通にバレた。

3年生の先輩たちの引退試合という規模の大きな大会だったので問題が大きくなり中学に入っても校長室へ。校長室だけでおさまらず教育委員会にまで話がいった。

このときはさすがの両親も怒り私の中学1年生の夏休みは謹慎生活になった。家にいても暇なので両親に勉強をすすめられた。

当時の私の学力はひどいもので中学1年生の生徒が約100人いて私が95位。チャリをパクった友達が97位と90位以降は私の友人たちが総なめしていた。

そんな私なので勉強をしろと言われても何からしていいのか分からない。両親が自営業だったこともあり毎日仕事の合間に勉強を教えてくれた。

ここで父は驚いた。

父「お前…。分数できへんのか…。」

それもそのはずで小学校時代の2年間学級崩壊で全く勉強をしていなかった。なんなら学級崩壊がおさまった6年生の授業なんて全く分からなかった。

小学校の参考書から毎日毎日勉強した。勉強とは不思議なもので意外にやり始めると面白い。私の場合は最底辺だったので全てが新しい発見だった。

あの夏休みは一体どれだけ勉強したか分からなかったのだがその年の冬にテストがあった。95位だった私に大きな変化が訪れた。

学年で10位。

なんだこれは!?と正直驚いた。そしてここから不思議な現象が発生した。

私が付き合う友達がどんどん変わっていったのだ。90位台を総なめしていた友人たちとは徐々に距離を取るようになって、頭のいい子たちと仲良くなっていった。子どもながら実体験としてこんな学びを得た。

自分が変わると友人が変わる。

人生とは分からないもので90位台を総なめした友人たちのその後は興味深い。一緒にチャリをパクった友人は中卒で暴走族に入り成人式のときは全身入れ墨が入っていた。何度も警察のお世話になったことを自慢していた。別の友人は彼女を妊娠させて行方不明に。そんな話を聞くと私もそうなっていた可能性が大いにある。

チャリをパクったところまでは同じでそこから大きく変わる。私の場合は結果的にチャリパク事件がいい風に作用した。(チャリの持ち主さんごめんなさい。ちゃんと返しました。)

書きながらこんな言葉が思い浮かんだ。

人間万事塞翁が馬

人生において何がよくて何が悪かったかは後になってみないとわからないのだ。

先日母からこんな話を聞いた。チャリパクの友人と偶然会ったのだとか。私の両親は当時のヤンチャな友達たちも可愛がっており、よくプールやキャンプに友達たちも一緒に連れて行ってくれた。チャリパクの友人も昔から私の両親になついていたことありこんな話をしたそう。

友人「おばちゃん(私の母)、俺もう35歳やし悪いことから足洗ったよ。みかんは結婚してるんだってね。俺どこで人生間違えたんかな。気付くのが遅すぎたよ。」

母「あんたねえ、気付くのが遅かったとかそんなことないよ。今気づいてよかったやん。あなたの人生なんてまだまだこれから!何かあったらいつでも相談しにおいで。」

友人「そうやんな。ありがとう!」

話があちこち飛んでしまったが最初の教育費の話に戻ると、これは費用対効果が分からない。

だって習い事なんてなにもせず小学時代遊んだ記憶しかない私と、小学校のとき勉強の思い出しかなかった先輩が同じ会社で働いているのだから。

私は公立中学もありだと思っている派だ。だってあそこは動物園だ。そして社会の縮図だ。お金持ちの子から貧乏な子まで。頭がいい子から悪い子まで。真面目な子からヤンチャな子まで。私の場合、公立中学の経験があったからこそ想像力の幅が広がったように感じる。

チャリパクの友人たちは社会の日陰に存在する。彼らは決して悪い人間ではなかった。むしろ馬鹿正直に人生を生きていた気がする。ただ家庭環境や所属するコミュニティ、そして知能の問題などで「俺どこで人生間違えたんかな」と思わざるを得なかったのかもしれない。

そう考えると私が今こんな記事を書けることなんて私の力なんてものはほとんどないのだと思う。偶然いい両親のもとに生まれて遺伝の要素で少しだけ勉強ができた。それが現代の社会から求められていることと適合した。

社会の日陰にいる友人たちと私は紙一重だったのだと思う。彼らを思い出すたびにいつも思う。今自分が幸せなのは運であり努力という言葉で言い換えてはいけない。努力を信奉することは自分の運を棚に上げ、誰かを苦しめることに他ならない。

さいごに

人間って自分の過去を肯定したがるので、私の場合は公立中学よかったよね派だし、先輩の場合は私立中学よかったよね派なのだと思います。

私には子どもがいないから分かりませんが、もしかしたら子どもができたらやっぱり私立中学!となるのかもしれません。それにしても塾代100万円…。

子どもに良い教育を受けさせようと思えばそんなにお金がかかるのかとびっくりしました。教育費の費用対効果を考え始めると本当に難しい・・・!

おしまい!


いいなと思ったら応援しよう!

FIREサラリーマン みかん🍊ブログ
こんな拙い文章を最後までお読みいただきありがとうございます!これからもサポートいただけるよう精進いたします!