【 Care’s World case 06 違和感から生まれた表現に、感情を乗せ、響き合える空間を〜 HUNKA 木下裕章さん 〜 / -前編- 】
“ケアすることは、生きること”
そんなテーマでお送りしているCare’s World。
今回の主人公は、熊本県水俣市を拠点に夫婦で『HUNKA』の屋号で音楽やシルクスクリーンプリントなどを用いた表現活動をされている木下裕章さんです。
Care’s Worldについてはこちらから。
暮らしの中で感じた違和感を糧に
木下:僕は熊本で生まれ育ち、県外の大学へ進学しました。周りは海外留学やバックパッカーの旅をする人も多くて、僕も1年間休学し、世界各地を巡ったんです。そこで、今まで見たことのない光景を目の当たりにしました。
その一つとして、ストリートにいるホームレスの人たちなど、それまでの自分の生活の中では、中々出会うことのなかった貧困や社会の歪みを感じました。
僕たちは一見豊かに見える日本という国で暮らしている。でも、実際には、そんな日本でも目に見えない複雑な問題が色々あるのではないか。海外の旅を通して、そんな視点で世の中をみるようになりましたし、それは今でも活き続けていると思っています。
その後、就活時期に入るのですが、スーツを着て、面接をして、という流れが、自分の中でしっくりこなくて…。それで自分なりに仕事を探していると、水俣にある現在勤めている職場の求人を見つけたんです。そのまま新卒で入り、現在まで勤めています。
木下:転機となったのは7年目でした。仕事として、水俣病の背景を伝えたり、情報発信を行っていたのですが、次第に違和感が出てきたんです。
水俣病が起きてしまった要因は色々あります。行政機関や企業行政機関や企業の責任、制度など、大きな枠組みで語られることが多いですが、一歩引いてみると、自分たちの暮らしも無関係ではない。
少なくとも、それらがあったからこそ、水俣病が起きた当時に生きていた人たちもそうだし、今の時代を生きている僕たちも、その恩恵を受け、物質的な豊かな暮らしができています。
だから、それがわかった上で「水俣病はこうやって起きてるから、ここがいけないことなんです」と情報をお客さんに伝えても、説得力がないと思うんです。「あなたはそう言うけど、あなたはどうなの?」「あなたも、恩恵を受けて暮らしているよね?」と言われても、何も言い返せない。
そんなふうに悩んでいるうちに、知識や情報だけじゃなく、自分たちなりにライフスタイルを変えてみることにしました。少しでも、言葉にしていることを体験することで、重みや説得力のある情報を伝えられるし、僕らが感じている違和感を解消できるのではないか。それがHUNKAとしての活動に繋がっています。
双方向のキャッチボールができる空間を
木下:「まず、自分たちにできることは何なのか?」と考えた時、一番身近な食べ物である米づくりから始めてみることにしました。日常生活の中で食べていても、どのように育つのか、どのように作るのか。それすら知りませんでした。
そんな基本的なところから始めて、今3年目になります。自分たちが食べるお米を自分たちでつくって食べる。それだけでも、少し自信がつきましたし、つくる大変さを実際に体験したことで、実感をもとに話ができるようになったのは一番の変化かもしれません。
例えば、水俣病の話をする際、前史として、水俣病が起きる以前の漁師さんの暮らしについて話をします。漁師さんは自給自足に近い生活をしていて、自然と共に暮らし、自分たちが食べるものは自分たちで獲ったり、つくったりしていたので、そこの部分もほんの少しではありますが、自分の経験に基づいてお話ができていると思っています。
たまにその流れで、水俣病を切り口に、お客さんとディスカッションすることもあります。その人が抱えている問題意識や状況だったり、僕自身が抱えているモヤモヤだったり。
一方的に、こちらから情報を伝えるだけじゃなく、お互いが思っていることを伝え合う瞬間は「この仕事をやっていて、良かったな」と感じさせてくれます。
木下:HUNKAとしての音楽活動も似たような感覚を覚えることがあります。僕らが発した音楽に対して、お客さんからリアクションが返ってくると純粋に嬉しいです。響き合うというか、そういう関係性のほうが楽しいんですよね。
例えば、色々な会議があるけど、中には形式的な会議もありますよね。もちろん、それが必要な場面もあると思います。でも、良いアイデアが生まれる瞬間って、双方向でキャッチボールが行われる時なのかなと思っていて。そういうコミュニケーションは水俣で働き始めてから意識するようになったと思います。
水俣病のこと一つとっても、いろんな意見があるし、関わっているみなさんの背景も様々です。そんな中で、いろんな意見を言えるようにするための関係性や空間づくりが必要かなと感じています。
どちらか一方が押しつける形だと、物事は進んだとしても、満たされない人が出てくる状況になってしまいます。まだ、そんなに大したことはできていませんが、個人や夫婦でシルクスクリーンや音楽などをツールとして表現しているところです。
(後編へ)
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