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どうしても認めたくなかった
繊細すぎる。
感受性が豊かすぎる。
気にし過ぎる。
記憶にある限り、幼稚園の頃にはそんなふうに言われていた。
その後もそう言われることが多く、でもどうしても認めたくなかった。
だって弱そうだから。格好悪い。
鈍感な方が、何も気にしない方が、強そうだしカッコいい。
30年ほど前だから時代もまだそういう雰囲気だった。
そしてそれを感じとれるくらいに、私は繊細で感受性が豊かで周りを気にしすぎる子どもだった。
なので出来るだけ鈍感で何も気にしないフリをしていた。
そしてフリも続けると多少は板につくもので、たぶん、私に対して鈍感な人・気遣いが出来ない人という印象を持っている人も少なくないと思う。
そしてそれはそれで間違いではない。
年齢を重ねてわかったけれど、繊細なだけな人も鈍感なだけな人もいない。
事実、私は人の地雷を踏んでしまったり、言葉をオブラートに包まなさすぎて人に不愉快な思いもさせている。
ちなみに社会人的な気遣いは本当に出来ない。すみません。
みんな違ってみんないい。
みんなそれぞれ繊細な部分も鈍感な部分もある。
ただしそれぞれ成分量に差があったり、その出方や部分が違うだけ。
だけどそう頭で理解していても、やっぱり自分が繊細だと、感受性が豊かだと、気にしすぎるタイプだと認めたくなかった。
なので自分の中では「そういった成分が多く出ることがある」というふうに理解していた。
ただここ数年、繊細さんやHSPなど色々な言葉が生まれた。
最初、この言葉を知ったときに思ったことは「これからはそういった成分の多い若い子たちが少しでも生きやすくなったらいいな」だった。
そして自分が子どもの頃にこの言葉があれば、自分もそういう成分が多めの子としてカテゴライズされていたかもなあと思ったくらいだった。
大人になった今、もちろんそういう部分はあるにせよ、少なくとも子どもの頃よりはうまく生きている。
つまり、繊細さんやHSPに関しては今の自分にとっては完全に他人事だった。
それなのにここ数ヶ月「繊細さんって知ってますか?」や「HSPって言われたことありませんか?」や「あの……めっちゃ気疲れしませんか?」など妙に言われるようになった。
なぜ今更そんなことを言われるのか。
しばらくは不思議に思っていた。
けれど先日、下記の記事にハッシュタグを付ける際、「繊細さん」や「HSP」といったハッシュタグを、自分が書いた記事に付けること妙に抵抗があって結局付けなかった。
そのときにふと、気が付いた。
最近色々な人にそのワードを言われているのは「そろそろ、認めてもいいんじゃない?」の合図なのかなって。
私が繊細さんなのかHSPなのかどうかはわからない。
正直そこはどちらでもいいので、そこを自分で深ぼる気はない。
ただ、繊細だったり、感受性が豊かだったり、気にし過ぎたりする。
そういう自分の成分は頭で理解するのではなく、心で認めてあげてもいい時期なんだろう。
□蛇足として
この記事を書きながらボロボロ泣いてしまった。
少なくとも泣けるくらいには自分を認めてあげられたらしい。
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