日記 「有名税?作者が犯罪者なら作品もダメなの?」

おそらくこの手の話は至る所で出涸らしになるまで、論じられている
それに昨今はSNS内のリプライ混沌化、テレビメディアでの報道のスタンスに対し、一概に一つの基準で捉える事自体不可能な事である

それにも増して、僕は疑問を抱き続ける。
最近でいえば、伊勢谷友介、そしてアクタージュのマツキタツヤ原作者など
伊勢谷氏はご存じの通り、大麻所持で刑事事件、マツキ氏は強制わいせつの件で同様に刑事事件として送検、伊勢谷氏のほうは今までの作品にどれだけ影響があったか等、逐一調べてもないが、アクタージュ原作に至っては連載中止(元々原作と作画2人3脚で創作したもので、これからも続く連載作品なので当然と言える)
そして作画担当の方が迷惑と期待を裏切ってしまったということで「謝罪」をして読者に詫び連載を中止とした。


個人的な話になるが僕は電気グルーヴが好きで、ピエール瀧氏がコカイン所持で逮捕され、ライブはもちろん、一時期は楽曲の配信中止や、CDの生産を中止され、それも大きく話題を呼んだ。所謂「作者の人格と作品は別離で考えられるべきか?」だ
そして多かったのが「コカインは別に誰かを傷つけてない、それに海外ではよくあるしミュージシャンは楽曲を流してもいいじゃん派」「スポンサーや様々な人に迷惑をかけたから自粛しろ派」
極論でいうと僕は自粛を決めるのも、流していいと判断するのも、外野がとやかく言って何様なんだ?てか何の意味があるのかという事だけである
それは結局事務所や、スポンサー、メンバーとの話し合いで決める事でしょ

そして中では、有名人やアーティストが薬物問題許されると、規制が緩むのではないか?
より厳しく法でも罰した方が良いという意見もあるが
そして、いくら有名人でも憲法14条の『法の下の平等』の原則で「法廷の中での判決」は我々一般人と基準は変わらない


だから、例えばアクタージュのマツキ氏が刑期を終え罪を償ったとする、それから原作をまた書き、どこかで新連載として始まったら、被害者の方のトラウマが掘り起こされるから、二度と原作を書いたら駄目なのか?
それともジャンプの売り上げに迷惑をかけた為、ジャンプ編集部に対し失礼だから創作をするなんて許されんのか?
海山のように、否定的意見は作れるし、勝手に「代弁」してあたかもそれが現実的な判断と思わせられる
で、こういうことを書くと被害者意識が・・・とか語る人もいるが、実際の被害者以外に誰がその心境を分かるというのうか、またジャンプの経営者や、編集者の心境を誰が理解できるというのか


言っておくが僕は、どちらかのポジションにも立ちたくない、前科があり、シャバに迷惑行為をした人が不当に扱われているとして救うべきと思わない、逆に被害者の方の立場に立って加害者を永遠に許されない構造にすべきとも当然思わない
ただただ本当に、勝手に周りが被害者に「成り代わり」企業に「成り代わり」発言したところで当事者じゃないし、虚しく響くねとしか思えない

少し話はそれるが、池袋の轢き逃げ事件があった、被害者の家族の松永さんは被告が未だ拘留も、起訴にも至っておらず、過失運転致死傷にて書類送検で済んでいること、それに憤慨しずっと署名を集め、世論として交通省などに提出する見込みなのを否定しない
そもそも法理的に轢き逃げをしたら刑事罰にあたり、誰であろうと裁かれるべきだ
そこに上級国民がどうたらは知らないが、今までの功績などが免罪符になる事なんてないし、書類送検されているし、然るべき処置が下ると思う。仮にその署名は厳罰化に対して機能しなくても「身内」で「家族」なのだから加害者に対しての現行で行政が下す罰じゃ気持ちが収まらなくなっているのは、そこで法理の限界だともいえる
時がいつになるか、出来るだけ早く判決を言い渡される事を願う
家族は「身内である」その方が容疑者を許せないと意見を言うのは正しいと思う
しかし、そこまでである
それ以外の親族や何物でもない私たちが、容疑者に対して、もし殺害予告をしたりするのと最悪だろう、寧ろそこは悪意の沼に落ちてる、どうあれ法理的に裁かれ、償わせるべき、私刑は絶対に許されない

僕は、感情論で一切の原因と結果を語りたくない
アクタージュの原作者は自転車を漕ぎながら、未成年の胸部を触ったのである、なので立派に裁かれて、被害者に懸命に償う。そして、刑罰を全うしなければならない

だが、僕はもし仮に後で何年してか、その原作者がまたジャンプで連載を持って漫画を描いたとして、作品がアクタージュのように素晴らしく、芸術性に対してのセンスが劣っていないと思ったら、普通に作品を楽しむと思う、その為に作者の人格は完全に切り離した方が楽しめるなら切り離す。元々こいつ未成年の胸触ってたやつなんだなと思い返さず読むだろう、伊勢谷さんもとんかつDJアゲ太郎の映画は面白かったらいいのになと思う、まぁ漫画原作の映画って、結構身構えるが・・・今までの経験上ではね・・・

そんなもんだ、バイなんちゃらのあの有名司会者と同じように、個人的感情で物事を判別しすぎると、自分でこの世界を生きにくくなることを分からないものだろう、それとも今までの人生全く失敗や不正がなく、全て順調に過ごしてこれた人ばかりなのだろうか・・・
そう思うと僕ってあんまし、SNSとかでスタンスの発言しない方が良いと思う
まぁ、政策や施策に対し、こうしてほしいと思う事は呟いたりするが、絶対にそんな時は感情的な文章にはならないよう3度見くらいする。なぜ必要なのかは必ず論理性があり、本当に助けがいる人に対しては、感情的な支援だけでなく、具体的な支援が必須だからである

とまぁグダグダ書いたけど、結局当事者で話し合いや贖罪などを進めてもらえればいい
世間の声なんてその事実に対して何の意味も持たないし、それで人気がなくなってしまう=それを有名税だーていう言葉に対しては、有名税なんて言葉はないし、人気は感情に準拠するから、それで人気が無くなり今までのファンが消えるのは仕方ないけど、その人の創作能力や、今までの価値は何も変わらないと思う。なんなら償って、新しい価値が出来るくらい頑張ってくれた方が、社会のモデルとしてどんな人にも、セカンドキャリア、ブレイクチャンスがあるといいよね
と思う


あと他人の不倫に対してあーだこーだはマジで、何の価値もない議論でしょう、
その俳優がどうだとか、女優がどうだとか、その当事者で離婚や、調停はしたらいい
佐々木希さんが許してるんだったら、別に渡部さんを絶対悪として見なくていいのでは・・・渡部さんの事を佐々木さんは許さないでください!と言ってる人は、今後も色んな事に勝手に私刑裁判官として、何も意味がない判決を下し続けるんだろうか

とまぁ色々頭を整理するつもりが、やはり煩雑してしまった、でもたまには吐き出して整理をしておかないと鬱憤となってそれこそ「誰かに」ぶつけるようなことは最低だ、社会の「マス」の意見や「メディア」は変わらないので、ずっとこのまま不謹慎、自粛、という言葉が頻繁に出る社会と付き合うんだろう、しかしそれでも僕は最後まで、個人的準拠枠に従って物事を判断しても心の中で留め、それを人に押し付けることはないよう気を付けて生きていく

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