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リモートワークと出社で会社への不安、不満が蓄積している3つの理由

在宅ワークで将来について不安が大きくなっている!?

このコロナ渦で在宅ワークが続く中、自分の将来、働き方、キャリアを漠然と考える時間が増えて、このままで大丈夫かなという不安がありました。

いろいろなモヤモヤしながらも転職活動をしてみました。
無事に新しい職場を見つけることができましたが、決まった会社は原則テレワークのため、より一層、人とのつながりが薄くなってしまうと心配しています。

今までの仕事とは違い、社内の期待から社外の期待に応える仕事に変わっているのですが、不安が大きくなっています。

社会人経験が長くなってくると、これからの働き方、キャリア、仕事に対する不安は大きくなってきます。

これはまさにいろいろな人が考えていることであり、テレワークは導入したときはよかったけど、今後も続くとなるとどうなるんだろう?
人として仕事がうまくいくのか?成長できているのか?ビジネスパーソンとしての市場価値って下がらないだろうか?ということが不安になっています。

歴史は繰り返される!?

リモートワークは余計な会議がなくなって、オフィスの契約更改をしないことによって、コスト削減の1つになってしまった。

表向きは健康を守り、命を守るためにテレワークをして、オフィスのコストをカットするということでは成功している。

しかし、コストカットだけに注目がいってしまって、生産性や効率性を考えると人と会い、顔を合わせて話をすることができるようになると、仕事のスピードが戻ってくる。

いろいろなことが延期をされることになり、仕事のスピードが遅くなってしまっていることに気づいていない。
大丈夫なのかな?延期しちゃっていいのかな?という気持ちになっている。

バブル経済が崩壊したときは、余剰人員、余剰在庫の処理、不良債権の処理が目的となったリストラが行われることになった。

リーマンショックは金融機関、不動産業など一部の業界、業種はダメージを受けた。
その後、ITバブルの崩壊を経て、内部留保ということが言われるようになった。

バブル経済崩壊から今日まで日本の給与水準が横ばい状態となって、GDPは世界2位から26位になってしまい、グローバル経済圏では中国、韓国に抜かれてしまい発言力をなくしてしまった。

一度壊れた世界は戻ってこない!?

コロナショックがはじまって、2年が経過をしようとしており、これがまた元に戻るということに期待して、壊れていることに気づいていない。

コロナショックが始まったころは、3カ月ガマンしたら元の世界が戻ってくると考えていたけど、今は疑問に感じていることが多い。

止めていきているのであれば、なくてよいものになってしまう。
機会損失や大損につながってしまうのではないかと考えている。

今回の蔓延防止措置については、従来の株とは違うことが海外の研究などからわかっており、柔軟性を求めるようにいろいろな専門家が声を上げている。

子どもの感染が増えていることから、ウィルス対応が不十分でワクチン接種ができないこともあり、家庭内感染が増えている。
従来の株とは逆の構造になっている可能性が高くなっている。

そうすると従来通りの規定でいいのかどうかという疑問がわいてくる。

思考停止になっているのではないだろうか?

怖がらせることによって自粛していくということに期待している。
怖がることによって人は虚勢をはって人を攻撃することにつながっている。

自分はかなわないということがわかっているにもかかわらず、社会の中で攻撃的になり、犯人探しになっているのは現在の状況です。

短絡的に考えることによって、あいつが悪いという犯人探しが始まっていることに気づかなければいけない。

みんなが恐れをなくしてしまったら、どうなってしまうのか?という正論を振りかざしてくる人も多くなってしまっている。

コロナショックがいつまで続くかわからないことに対して、自粛生活を続けられるのかどうかという不安があるなか、社会活動をしていかないといけない。

恐怖から攻撃的になる人が増えている!?

怖がっている人はコロナショックが終わると思い込んでいるから、攻撃的になっている。
終わるというのは楽観的な考え方で、終わらないなかで、どうやって社会生活、経済生活を考えなければならない。

恐怖に縛られると身近な人が受ける心労などについては計り知れない。
コロナ自体ではなく、コロナを恐れている人がおこなっている。

コロナについては収まることがないので、考えないといけない。
怖いものが怖いけど、生きていかなければならない。

怖いのはしょうがないから、自分がどのように生きていくのかをしっかり考え続けていくことになる。

本人がどのように乗り越えていくのかを考えていく。
1人で考えるよりも、コミュニケーションを取りながら、考えて続けて、より自分らしく生きるためにはどうしていくのかを考える時代になってきた。

自粛生活は水中で息止めをしているようなもので、長くなりすぎるのであれば、それなりにいろいろな手段と方法を考える。

命を守る=命をしまい込むことになって、命を使うことがなくなってしまう。
必要な時は命をしまうこともやりつつ、命を使うことも考えなければいけない時代に入ってきたのではないだろうか。

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