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外国籍雇用企業インタビュー「コンタツ」社長のCareerFlyとは-前編

「外国籍人社員とともに飛躍する(Career Fly)」
”外国籍人材”を雇用する真意とは?
日本において、積極的に外国籍人材を採用している企業は何を目的としているか、インタビューを通して紐解いていく。キーパーソンとなる企業経営者へ質問を重ね外国籍社員とともに飛躍する(Career Fly)ロードマップを聞き出していく。

笑顔5のコピー


コンタツ株式会社
代表取締役社長 津久浦慶明氏
にインタビュー
コンタツ株式会社3代目社長。大学卒業後味の素社へ入社。国内営業後海外事業を担当。2005年にコンタツ社へ入社。2011年より代表取締役社長。「TOKYO BLUES」などの東京ならではのアルコール商品や越境ECサイトを手がけ、東京から世界に、日本酒を親しみやすい形で発信し続けている。

CareerFly 羽二生(以下羽二生):今回は株式会社コンタツ代表の津久浦様に、外国籍社員と共にキャリアフライをするをテーマにお話をお伺いします。よろしくお願いいたします!

コンタツ津久浦氏(以下津久浦氏):よろしくお願いします。

羽二生:コンタツ社はとても歴史がある企業ですよね。大正13年創業です。津久浦様は、現在3代目でいらっしゃると思いますが、そこに至るまでにはどのようなご経験をされたのですか?

津久浦氏:私はもともとバックパッカーとして、国内外いろいろな場所に一人で行けるような人間でした。就職先を探すとき、実家のコンタツを将来的にも継ぐ・継がないを置いておいても、関連する業界&海外と関われる仕事がいいなと思い、当時からグローバル展開もしていた味の素に入社しました。

最初は北海道にて4年ほど営業をしていたのですが、成績を出しすぎて(笑)、海外事業の担当になりました。

羽二生:すごいですね!念願の海外事業の座を勝ち得たのですね。

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津久浦氏:そうなんです。ただ、結構大変でした。というのも、当時からグローバル展開をしていた味の素も、実は海外は海外、日本は日本で事業が分かれていて、部署間や社員同士の交流がほとんどなかったのです。そこを、オペレーションを一気通貫にしようとした初めての部隊でした。部隊といっても、私と上司の二人でした(笑)。
社内では席が1つ変わっただけですが、いきなりコミュニケーションが英語になりました。

羽二生:企業の誰もが経験していない新しいことをほぼ一人で進められたのですね。

津久浦氏:はい。100人ぐらいいるフロアで2人だけ違うことをしていました。大変なこともありましたが、よかったことといえば、皆私たちが何をしていたかわからなかったので、助けてくれないですけど、同時に口も出されなかった。自ら事業を進めていく力を身につけることができました。

創業90年の家業を立て直す海外事業から一転、新たなチャレンジ

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羽二生:味の素社にて、ご自身の分野を確立され、とても充実されていたように思います。どのタイミングで貴社に入られたのですか?

津久浦氏:経営が危ないと思ったからです。その当時、企業を大きくしようというより、1日でも長くこの企業があればいいなという状況でした。このままではいけないと、私が経営に入ることになりました。

羽二生:また新たなチャレンジですね。当時を振り返ると、どのような点に一番課題を感じていらっしゃいましたか?

津久浦氏:企業風土です。16年前当社に来た時感じたことは、”誰も頑張らない”ということです。5時10分が弊社の退社時間なんですが、5時半には誰もいないという。今ではホワイト企業とか、効率化みたいなことで良しとされると思いますし、当時でも賛否両論あると思うのですが、会社の状況を考えると、ちょっとポジティブには捉えにくい状況でした。
オールドタイマーな企業で、平均年齢は50歳を超え、ITや新しいものを取り入れていくという考え方もありませんでした。
そうなると、外からの信用もなくなります。仕入先メーカーさんからの期待値も下がるし、お付き合いしていただいている金融機関からの目も厳しくなる・・・。

まず中から変えていく必要性を感じました。

羽二生:社内の状況が、お客様やステークホルダーにも影響し、結局売り上げや経営に響くのですね。

津久浦氏:そうです。なので、私が先頭に立って、変革を起こそうと思いました。社員には、私が来たから大丈夫だと思って、またチャレンジして欲しかったのです。

コンタツにしかできない「東京ローカル」

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津久浦氏:そんな中で推進したものの一つが「東京ローカル」です。

当時、日本には多くの酒の問屋さんがあり、弊社よりも歴史が長い企業や売り上げが大きい企業もたくさんありました。ただ、バブルがはじけた後20年足らずで、全国展開するチェーンストアや大手企業にM&Aされることで、国内の酒問屋の数が約半分になりました。
地元だけで売るよりも、全国で売る方が強いという風潮がありました。

私もコンタツに入る前に、どこの企業グループに所属するのかと聞かれました。でも私はどこにも所属しませんでした。
なぜかというと、東京圏(東京神奈川埼玉千葉)だけで、日本の人口の4割のマーケットなのです。そもそも全国展開が必要なのか、そう思いました。

羽二生:冷静に状況を見たときに、世間の流れとは逆をいく方が、貴社のマーケットとして確保できるということですね。

津久浦氏:はい。全国ではなく「東京」にこだわる。「東京ローカル」という言葉を作り、東京のお酒を作って売ろうということになりました。

羽二生:これまでの酒蔵さんとのお付き合いができていた貴社だからこそできたことでしょうか?

津久浦氏:それが実は、当時90年近く東京でお酒を売っていて、東京の酒蔵さんと一軒もお付き合いがなかったのです。

羽二生:あれだけ全国のお酒を取り扱われているのにですか?!

津久浦氏:そうなんです。普通、新潟の酒問屋は新潟の酒を扱うんですよ。地酒がありますから。
東京にもあるのに、それをやっていなかった。
なので、私たちの目指すマーケット、あり方、東京の酒を東京の酒屋が売る。それを広めていく。より楽しんでもらえるようにする。
そういった「東京ローカル」という夢を、カラー刷りのかっこいいチラシを作って、お付き合いしていなかった酒蔵さんに回って、一軒一軒伝えていきました。
そうしたら、わかってくれる酒蔵さんが増えていきました。
ローカル同士がコミュニティーを作り、歴史を作る。そういった動きに賛同してくれる酒蔵さんが増えていきました。

中編

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