考えるストレス、考えるのが面倒くさい。
嘘か誠か、人は一日に35,000回何かを決定しているのだそうな。
マーケッターのための専門メディアMarke Zineの音声配信のなかで、コロナ禍でおうちごはんが増えて、今日何食べようか?という決定にストレスがあるという人が増えているというデータを見つけました。
なるほど。すごくありそうな話ですよね、そういうの。
ここ2年、我が家は私も夫も在宅ワーク。
コロナの影響もありますし、私はずいぶん前に会社勤めを辞めたし、夫は1年半前に会社を定年になり(雇用継続を選ばない働き方を選択)、昼間はお互いに自分の仕事部屋にこもることが多くなりました。
在宅で仕事をしている日は夕方になると、「今夜何にする?」がお決まり。夕食のメニューのことです。
そのたびにどうしようか、何にしようか、となります。
ふぅ、今は他のことを考えたいのに。面倒くさいよぉ。
そういうモヤモヤが心の中に広がります。
夫は料理も上手だし、いろいろ作ってくれるのですが、ここで問題なのは、作るか作らないかとか、誰が作るか、ということではありません(それで困っている方も多々いらっしゃるでしょうが)。
その日のMarke Zineの配信は、マーケティングインサイトがテーマでした。
インサイトとは、人を動かす隠れた心理。本人も気づいていない無意識の心理ですが、消費者の行動や思惑、それらの背景にある意識構造を見ぬいたことによって得られる「購買意欲の核心やツボ」のことを指します。 いわば潜在的な欲求のスイッチ。
冒頭の「今日何食べようか?」という決定にストレス、というのは、「作るのが面倒」というよりも、「考えるのが面倒」、というのがマーケティングインサイトだ、という話でした。
見回してみると、現代は、考えなくても大丈夫、と呼びかける現象が増えてきています。
Amazonのように私に合ったオススメを次々に出してくるのは典型的な例ですね。リコメンドは安心、のはずです。
でも私は、これまで以上に迷うくたびれ感を感じます。
35,000回かどうかはわからないけれど、私たちは毎日の暮らしの中で、実にたくさんの決定をしているのは、きっと確かなんでしょう。
小さな決定、小さな選択から、思い悩むくらい迷う大きな選択まで。
そして、そのたびに無意識に頭を使うから、頭が疲れていくのでしょう。
最近は、知らない人がいろいろ勧めててくれるから、その人がどういう人なのか、信用できるかどうかをまた確認するようになり、何を決めたかったの岡、わけがわからなくなってきます。
毎日の食事については、私の場合、何を食べようか?を考えること自体が、最近は本当に面倒になってきました。
もし、洋風か和風か、肉か魚か、煮物か焼き物か、など、何かが決まっていると、そこから考えるのは、一から考えるよりはもう少し楽になっていくように思えますが、大きな枠から考えるのが、本当に面倒くさい。
もう一つは、ルーティンが面倒くさい、ということもあるかもしれません。
ときどきのことだったり、ハレの場だったりすれば、楽しく考えられたりすることもあるでしょうが、日常の毎日のことだと面倒くさい、という図式です。
自分が「考える」ことを面倒くさく思っていたことには、正直、気づいていませんでした。しかし、考えることを放棄したくなっているというのも、なかなか問題すね…しかし、考えることを放棄したくなっているというのも、なかなか問題。困りものですね…
コロナ禍で家にいることが多くなり、本来は外でやっていたことも家の中になり、すべてが日常、「ケ」の状態になるので、わざわざの日常のことまで考えなくてはいけないことがストレスになるのかもしれません。
私は、食に関して無関心な方ではないし、おいしいものを食べることは大好き。それでも考えるのが面倒になっているのですから、何を食べるかを考えたくない人は、きっととても増えているはずです。
食事のたびにストレスを感じているわけですね。
きっと頭も疲れているでしょう。
たまには早めの時間にゆっくりお風呂に入り、私も頭を休めて今日は早めに寝ることにしようと思います。