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有名人の自死のニュースに思う|死者には反論ができない

 あいついで有名人の自死のニュースに接することになり、日本中で多くの人がさまざまな感慨を抱いていることと思います。わたしもそんななかの一人で、特にファンだった女優さんのニュースには、ひとしお興味を持ってしまいます。
 そんな中で、カズレーザーさんは、マスコミが、「過去のインタビューをさらって、亡くなった後に取り上げるのっていうのは、ご家族に対していい気持ちはしないと思いますし、うがった見方をすれば、丁寧な言葉で死人にむちを打っているような気もする」と発言したそうです。このことをネットニュースで読んだときには、女優さんの自死のニュースを貪るように読み漁っている自分が恥ずかしく思えました。

 ああ、その通りだな。故人を丁寧に貶めているんだなわれわれは、と考えました。

 それは、もう抗弁も抗うこともできない死者に対する非礼な行いなのかもしれません。一方的にすぎるからです。これは、有名人だからと言って、また日本中で大勢の人が「なぜ?」という関心を抱いているからと言って、ほんのわずかでも正当化できる話ではないと思います。カズレーザーさんのコメントに触れて初めて気づいた自分ですが、好き勝手に暴き立てるのであれば、死者にも反論の機会を用意して欲しい、強くそう思いました。反論することのできない者に、好き勝手言い立てるのは、正い行いとは言えないように思います。

 以前、会社の同僚が自死したことがあり、その時も自分の中に「なぜだ」という思いと「後ろめたい」思いの両方がせめぎあっていました。当時は、「自分に何かできたのでは」という思いから、そう感じたのかと考えていました。しかし、カズレーザーさんのコメントに触れ、新しい気づきを得た今は、別の見方です。きっと当時も、社内であれこれ詮索することが、「反論する機会を失った同僚」に対して、不当な扱いをしていると感じていたのかもしれないなあ、と思うのです。
 その後、残されたご家族の思いを聞かせてもらえる機会がありました。「自死した人の家族」という目で見られることが、とても辛かったと話してくれました。誰もが口ではお悔やみや慰めを伝えたはずです。それにもかかわらず、ご家族は周りの「目」が辛く、外を歩くのも憚られたそうです。その目が、「家族なら何かできたんじゃないのか?」と語っているように思えたからなのだそうです。

 有名人の自死についてのマスコミのニュースも、それに接するご家族や親交のあった方には、世間から同様に責められているように感じられるのかもしれないと、思いました。カズレーザーさんのコメントが、ご家族に対しても触れられているのも、心にしみます。カズレーザーさんのこのコメントが、少しでもご家族や亡くなった方の慰めになればと、蟻一匹のわたしの今の願いです。

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