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有るを無いとは想像し難い

人って、無いものを欲しいと思ったら、有る世界をすぐ想像出来るのに、有るものが無くなるとかって、想像が苦手で容易に出来ない様な気がする。

これは私の話だけど。

主人が生きていた頃は、無視するし、話し合いを持とうとすると、シッシッと犬や猫を払う様に私の事を扱って、大嫌いだった。

でも、いざ亡くなって初めて、与えてくれていた事の多さに改めて気付かされる。生活の安定だけでなく、安心や、心強さ。嫌いだったけど、私も子供も守ってくれていた事にも気付かされた。

私がもっとはやく、そう言う事に気付けていたら、主人との関係は違っていたのかも知れない。でも、渦中にいる時って、本当に気付けない。

だから、離婚とか頭をよぎる人には、一回本当に考えて欲しいって思う。好き、嫌いは別として、パートナーがあなたに与えてくれているものを、数えて欲しいと。

一つ一つ挙げていって、数が沢山あればとか、少なかったらとか、そう言う事では無く。

貴方が与えられていたものは、パートナーがどんな思いであなたに与えて来たのか?と言う事を、考えて欲しい。どんな思いで家族に与えて来た物なのか?を考えて欲しい。

もちろん、暴力とか暴言とか、そんな物なら欲しくは無い。そう言うパートナーによって、心に傷を受けた人はそもそも別。あなたは、あなたを守って欲しいし、一刻も早く離れるべきだと思う。

だけれど、冷え切った関係と思っている人は、もう一度、本当に冷え切ってるの?パートナーに嫌われてると思っている人は、嫌いって言われたの?と、自分の見ている自分の世界を疑って欲しい。

だって、最初は2人幸せだったはずじゃない?なのに、どうしてそうなったの?そう考えがちだけど、原因なんてどうでも良いんです。そりゃ思うところがあるでしょう。でも、あの事があったからと原因にフォーカスし続けていると、目の前にパートナーが細やかな言葉の贈り物をしても、細やかな貴方への奉仕をしても、それを受け取らない貴方がいるはずです。

そうやって、与えて貰っているのに、受け取らないのは貴方なのでは無いのでしょうか?

私は自分が、そうだったと思っている。素直に「今」にフォーカスしなかった。過去ばかりにフォーカスして、〇〇された、〇〇言われたと、被害者になっていた様に思う。

けれど、きっと過去ではなく今にフォーカスしたら、本当は「これ、あげるよ♪」って差し出されていた手に気付けたと思う。それを受け取って、喜べた自分がいたと思う。

差し出された手に気付けていなかったのは、貴方が過去にフォーカスばかりしていたからだと思う。

物質的でも、それが貴方の手元に来た時の喜びや嬉しさは、貴方が稼いだお金でなく、パートナーが稼いだお金ならば、パートナーの愛では無いかと思う。プレゼントでは無くても、生活品であっても、それで貴方が快適になるなら、パートナーが貴方に快適さをプレゼントしたと言う事でしょう。食べ物なら、貴方のお腹を満たしたいと言う思いが、お金として貴方に渡って貴方が買い物をして、料理となって貴方の口に運ばれてお腹を満たしたと言う事になる。

そう言う事を、私は忘れてしまっていた。人は、当たり前になると、感謝を忘れて麻痺して行く。それが、冷えて行く関係の始まりだと思う。

亡くなってから気付いても、どうする事も出来ないし、改心してもやり直せない。

でも、貴方のパートナーが生きているなら、いくらでもやり直しは効くし、貴方の思いを伝える事も出来る。疑問を聞く事も出来る。パートナーの口に出せないでいる思いも、お金と言う形で受け取る事も出来る。

やれる事は、いくらでも有る様に思う。生きていれば。

だから、最後の決断をする前に、今一度考えて欲しいと思う。

それでも一緒に居られないなら、それはそれで貴方の覚悟や決断を受け止めるし、後悔しないと思ったのなら、それはきっと貴方のベストなのだと思う。

でも、明日貴方のパートナーがこの世界に居ないとしたら?貴方は今、パートナーに何を言って、どんな行動をするだろうか?パートナーの、どんな思いを受け取るのだろうか?

貴方の見たい世界が現れるとしたら、貴方はパートナーとのどんな世界を現すのだろうか?


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