自覚を持ちやすかった依存症②
前回の記事。
今回は、私がアルコール依存症に早期に自覚を持てて医療に繋がれたのはどうしてなんだろう?という考察の記事の2回目。
ひとつめの理由は、人生で最も大事にしたいことが美容だったので、それに反するアルコール依存症は早めに叩いておきたかったから。
ふたつめの理由は、私の精神疾患の原因のひとつとも言えそうな特性の完璧主義ゆえだと思う。
完璧主義
私は、自分で考えても他者からの指摘を振り返っても、完璧主義なところが強いと思う。
(アルコール依存症の治療をしていた数年後にASDのグレーゾーンだと診断が下るのだが、完璧主義はASDの特性のひとつでもある)
昔は、自分のことを完璧主義と自称するのもおこがましいことだと考えていた。
なぜなら、完璧を体現している人こそが完璧主義を自称することを許されると考えていたから、全然完璧になれていない私は完璧主義と自称するなんて恥ずかしいこと、みたいな感じ。(この思考が既に完璧主義者的😂)
ただ、改めて完璧主義の定義と自分を照らし合わせてみると、明らかに完璧主義なことがわかる。
完璧主義ゆえに、ストレスを溜めがちでそれが過度な飲酒に繋がっていたと思う。
常に「自分を許せない」という状態で生きていたから、自分が自分に追い詰められていてしんどくて、そのしんどさから飲酒していた。
ただ、アルコール依存症に早期対応できたのも、完璧主義ゆえだと思う。、
自分の飲酒欲求を少しでもコントロールできないことに、強い悔しさや異常性を感じていた。
多くの人は、「たまには飲み過ぎることもあるよね!」と流せそうなことにすら、
「たまにですら自分自身をコントロールできなくなることなんて許せない!!」という感じだった。
だから、「こんなに自分がコントロールできないなんて絶対に病気意外に考えられない」「というか、病気であってくれないと困る」と割とあっさり病識を持つに至った。
私にとって、病識を持つことは救い船でもあった。
自分の意志が弱いせいでこうなっているのではなく、病気だからこうなっているのだ、と思えることは救いだった。
以上、
①美容至上主義
②完璧主義
このふたつが、私がアルコール依存症に早期対応できた理由だと思う。
今、3つ目の理由を思い付いたので次回はそれについて書きます。
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