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【ゆっくり学ぶシルバーバーチの霊訓】18

こんにちは。

シルバーバーチの霊訓をお読みになった方も、そうでない方も、どうぞご参加ください。生きる目的と人生に起こる様々な出来事の意味を知って、あなたがより幸福に生きられる事を目的とします。

テキストは必要ありません。
シルバーバーチの霊訓から、少しずつ引用させて頂いて皆で一緒に考えていきたいと言うのが、本文の趣旨です。

それでは始めましょう。

霊的真理は単なる知識として記憶しているというだけでは理解したことにはなりません。実生活の場で真剣に体験して、初めてそれを理解するための魂の準備が出来あがります。どうもその点がよく分かっていただけないようです。

種を蒔きさえすれば芽が出るというものではないでしょう。芽を出させるだけの養分がそろわなくてはなりますまい。養分が揃っていても太陽と水がなくてはなりますまい。そうした条件が全部うまくそろった時にようやく種が芽を出し、成長し、そして花を咲かせるのです。

 人間にとってその条件とは辛苦であり、悲しみであり、苦痛であり、暗闇の体験です。何もかもがうまくいき、鼻歌交じりののん気な暮らしの連続では、神性の開発は望むべくもありません。そこで神は苦労を、悲しみを、そして痛みを用意されるのです。そうしたものを体験して初めて霊的知識を理解する素地が出来上がります。

そしていったん霊的知識に目覚めると、その時からあなたはこの宇宙を支配する神と一体となり、その美しさ、その輝き、その気高さ、そして厳しさを発揮しはじめることになるのです。そしていったん身につけたら、もう二度と失うことはありません。

それを機に霊界との磁気にも似た強力なつながりが生じ、必要に応じて霊界から力なり影響なり、インスピレーションなり、真理なり、美なりを引き出せるようになります。魂が進化しただけ、その分だけ自由意志が与えられます。

 霊的進化の階段を一段上がるごとに、その分だけ多くの自由意志を行使することを許されます。あなたはしょせん、現在のあなたを超えることは出来ません。

そこがあなたの限界と言えます。が同時にあなたは神の一部であることを忘れてはなりません。いかなる困難、いかなる障害もきっと克服するだけの力を秘めているのです。霊は物質に勝ります。

霊は何ものにも勝ります。霊こそ全てを造り出すエッセンスです。なぜなら、霊は生命そのものであり、生命は霊そのものだからです。

シルバーバーチの霊訓(一)潮文社刊
アン・ドゥーリー編
近藤千雄訳

真理の学びは車に例えると両輪が必要です。

ひとつはこのように知識を学び、理解を深める事。

もうひとつは、実生活においてその知識に基づいて行動し、真理を自分の一部とする事です。

厳しく言えば、学んだだけで実践が伴わなければ意味がないという事です。理論はそのままでは役に立ちません。しかし、その理論がなければ実生活においてどのように行動するかの指針がありませんので自信を持って決断し、行動することもできません。

理論と実践の両輪がバランスよく回転して私たちは成長を遂げる事ができるのです。

その理論を実践するための絶好の機会が苦難であり、悲しみの場であり、人と人との関係性の中にあるのです。

例えば肉親が大病を患った時に、真理を学んでいれば徒に狼狽える事なく、苦難を肉親や自分自身に対する霊的な成長のための好機と捉えて前向きに立ち向かう事ができます。

そして、自信を持って苦しんでいる人を励まし、空虚な慰めの言葉ではなく、裏付けのある心からの言葉をかけてあげる事ができるのです。

悲しみの後には希望が必ず用意されている事。

私たちが今苦しんでいる事は、決して不幸なことではないという事を説明して差し上げることも出来るのです。

これを小さなことだと思われますか?

本当に苦しみのどん底にいる人に対して何もしてあげられないのと、救いの灯明をかざしてあげられるのとでは雲泥の差があると私は信じますが、皆さんはいかが思われますでしょうか。

今日はここまでとします。
真理を学ぶ私たち一人ひとりが暗闇の中の灯台となり、道に迷う人々を照らす光となれますように。
心を込めて。

Capella✝️


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