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補・「素朴なアートを生きる」ことについて。

↓この記事の補足です。

小さい頃からいろんなことをやりたかったけど、こと、中学生の頃は作曲と小説書きにいそしんだ。

のめり込んでしまうと疲れて体調を崩してしまうのだけど、でも中学生の頃はのめり込んで真夜中までパソコン触ってたな。
よく怒られたものだ。

だからか?
好きなことをやることに対して罪悪感を抱くようになった。

アートをやる人や自分のことを「河原者」と感じるようになったのもこの頃だ。
(河原者ってどういう意味かはぐぐってください。私はあまりうまく説明できない。ただ少し侮蔑的な意味を含むかもしれない)

ちゃんと普通の学校に行って就職して結婚して子供産まなきゃだめですよ、みたいな圧を感じていたからこその罪悪感でもあるのかもしれないな。

だから、2回目の大学は芸術系のとこ行きたい、なんて、よく言えたなと過去の自分に感心するし、親もよく許してくれたなと思う。

芸術系の大学に行ったら行ったで、エキスパートを養成してるわけだから、「打ち込むのが当たり前」「のめり込むのが当たり前」の世界だった。
それはそれで楽しかったけど、今の私はもう少しライトにアートをやりたいと感じる。
打ち込んでない人やのめり込んでない人へのジャッジ、品評、批判、それらから自由になって、自分のペースで取り組んでいきたいのだと思う。

「素朴なアートを生きる」という言葉は、好きなことをやることを許し、またそれらにライトに取り組むことを許す、とっても素晴らしい言葉だと思っている。

ある程度ライトに作曲してきたことを許し、ある程度ライトに編曲してきたことを許し、noteでおもっきしライトに詩やエッセイを書くことを許し、AIの力を借りることを許し、ライトにDTMするだろうことを許す。

自分の中の罪悪感を許す。

会社で嫌なことがあっても「まあでも家に帰ったら素朴なアートができるしな」と思えるし、上司に叱られても「いいのか? 私は普段は素朴なアートを生きてるご身分なんだぞ?」と思える。

素朴なアートを生きられれば、別にお金持ちにならなくても有名にならなくてもコンクールで1位を取らなくてもいい。

やりたいことをはわーんとやり、書きたいことをはにゃはにゃ書いていればいい。
それを許す。

いろんなことについて、自分で自分を許せるようになる魔法の言葉。
※ただ私限定の魔法かもしれませんので、皆様が使われる場合は用量用法を守って正しくお使いください。

オチが全然ないですが、とりあえず子供の頃の満たされない気持ちが満たされるようになってきたよというご報告でした。
報連相大事!!

ではまた。

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松井美和(みく)|⁠素朴なアートを生きる
あなたの気持ちが、巡り巡ってやがてあなたの元へと還りますように。

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