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「No.16」「Fair is foul, and foul is fair.」シャセリオーの《マクベスと3人の魔女》

こんにちは!かずさです!

家の中にいると、本を読む時間も長くなりますよね。最近、私はヴェルヌの『80日間世界一周』を読んでいます。

この本を紹介するのもいいのですが、最近は物語画を紹介していて、ギリシア神話、『オシアン』と来たので(?)、今日はシェイクスピアにしようと思います!

作品紹介

今回の作品は、テオドール・シャセリオーの《マクベスと3人の魔女》です。

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1855年 油彩画 H72×W90㎝ フランス、ルーブル美術館(オルセー美術館に寄託)

「綺麗は汚い、汚いは綺麗」など有名なセリフが多いマクベスの第1幕の場面を描いた作品です。『マクベス』といえば、だいたいこの作品が出てくるのでご存知の方も多いと思います。

殺風景な荒野の中で、画面右側にはマクベスに予言をする3人の魔女が、画面左側には馬に乗ったマクベス(左)とバンクォー(左)がいます。魔女たちは両手を挙げ、髪を振り乱しながらおどろおどろしく呼びかけます。

「万歳、コーダーの領主」「万歳、いずれ王になるお方」

マクベスは魔女の予言を聞いて段々狂気に走るのですが、この作品でのマクベスは野心を抱くというよりは、両目を大きく開き魔女の予言を恐れているようにも見えます。(むしろバンクォーの方が予言に興味深々といった感じです。)

複雑な構図ではありませんが、人物の表情に臨場感があって、観賞者はまるでその場に居合わせたような緊張感を覚えます。この作品を描いたシャセリオーとはどんな人だったのでしょうか?

アングルとシャセリオー

シャセリオー(1819-1856)は、カリブ海のイスパニョーラ(サン=ドマンク)島にフランス人の父とクレオール(西インド諸島などの植民地生まれのフランス・スペイン人)の母の間に生まれました。

彼にとって、自身のちょっとエキゾチックな顔つきはコンプレックスだったようで、繊細な性格だったと言われています。

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シャセリオー《自画像》 1835年 油彩画 H90㎝×W82㎝ フランス、ルーブル美術館蔵

当時の文化人を数多く撮影したナダールは、シャセリオーに断られてしまい、写真を撮影することが出来ませんでした。この自画像のポーズも少し儚げで繊細な感じが見られますよね。

しかし、本人の画力は全然頼りなくなんてありません!幼い頃にフランスへ家族で帰国したシャセリオーは、1830年の11歳の時にアングルのアトリエに入門します。

(アングルについては前回紹介したので、こちらをご覧ください!)

アングルはまだ少年であるシャセリオーの前で足を止め、「見てみたまえ、この子はいずれ絵画のナポレオンになるだろう」と言ったと伝わっています。

アングルが1834年にイタリアへ行ってしまうと、シャセリオーの方は30年代半ばから文学者などと交流を深めることとなり、水浴するディアナやニンフなど官能的であり、優美な女性像を描きます。

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シャセリオー《海から上がるヴィーナス》 1838年 H65㎝ x W55㎝ フランス、ルーヴル美術館蔵

この頃のシャセリオーの作品には何となくですが、アングルの面影が見えるような気がします。

下のアングルの作品は、完成したのは1856年でしたが描き始めたのは1820年なので、シャセリオーは作品の構想を見ていたのかもしれません。(超個人的意見です…)

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アングル《泉》 1820年-1856年 油彩画 H163cm×W80cm オルセー美術館蔵

しかし、そんなアングルとの精神的決別を果たす時がやって来ます。1840年の夏にシャセリオーは、イタリアで師との再会を果たすのですが、自分のスタイルと師のスタイルがはっきりと違っていたことに気付くのです。

しかし方向性が異なっていても、アングルを嫌っていた訳では無かったようです。

シャセリオーは、美術史的にはロマン主義の画家とされることが多いのですが、同時代の画家によると、彼は同じくロマン主義の画家で師とは立場上反対の位置に置かれていたドラクロワと比べられることを嫌がり、「自分はアングルの弟子である」と言っていたそうです。

直接指導を受けたのはたった4年間でしたが、シャセリオーにとっては思い出深かったのでしょう。そう考えるとシャセリオーは新古典主義とロマン主義が絶妙に混ざり合った画家とも見られるかもしれません。

シャセリオーとシェイクスピア

シャセリオーは1840年の師との再会の中でこんな風に書いていました。

『彼(アングル)は最近の詩人のことは誰のことも全く知らないでいるのです。彼にとってはそれでいいのでしょう。思い出のように、過去の芸術のある時代の複製のように、変わらないのでしょうから。』 『シャセリオー展』カタログ p16より引用

彼は当時の詩人やバイロン、シェイクスピアを愛読していたとされています。そのため、アカデミズム的にラファエロを信奉するアングルと道を違うことになるのですが。この当時、バイロンやシェイクスピアはロマン主義的な絵画のテーマとして取り上げられることが多かったのです。

まだ彼が幼い頃ですが、フランスの小説家スタンダールが1823年に『ラシーヌとシェイクスピア』に書いて以来、シェイクスピアの戯曲がロマン主義と結び付けられるようになったとされています。

シャセリオーも『オセロ』のエッチング(銅版画)、『ハムレット』のリトグラフの連作などを残しています。今回の作品である《マクベスと3人の魔女》は、1855年に行われた展覧会に下の《バンクォーの亡霊》という作品と一緒に出品されたものでした。

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1854年 油彩画 H54㎝×64cm ボザール美術館蔵

ちなみに、ドラクロワもマクベスを題材として作品を制作しています。(リンクを貼ったので見てみてください。)

この作品と比較してみると、(リトグラフと油彩画の違いはありますが)シャセリオーの《マクベスと3人の魔女》の方は構図が横に広く、比較的シンプルな背景で、登場人物たちの顔がだいたい同じくらいによく見えるという特徴があると思います。

《バンクォーの亡霊》でも似たような傾向はありますが、より強調されているようです。

シャセリオーがこの『マクベス』を制作した理由として、1855年にイギリスの劇団による公演を見ていたということが指摘されているので、作品中の大げさな魔女の動きやマクベスの表情は演劇を意識したところがあったのかもしれません。


今回は『マクベス』をテーマにした作品を見てきましたがいかがでしたでしょうか?後半はほぼシャセリオーの話だったので、あまりマクベスの話が出来なかったのですが…。シェイクスピアの話は、また別の作品の時に出来たらなと思います笑

次回は、アジアのアートを紹介します(o^―^o)


画像は全てパブリック・ドメインのものを使用しています。

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今回参考にした本、おすすめの本を紹介します!ぜひ、おうち時間に読んでみてください!






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