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ちょっと真面目な悪ふざけ

ちょっと悪ふざけしたハッカソン

先日投稿した「人生初ハッカソンを考える」という記事で、人生初めてのハッカソンを通して考えたことを書かせていただきました。

このハッカソンを通して出来上がった作品がこちら。

この「ミツかるよんく」のコンセプトがこちら。

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ハッカソン中に10分くらいで書き上げたので、かなり粗削りな文章ではありますが、コンセプトとしてはキレイに固まった印象です。

この文章を改めて眺めたときに、「ちょっと真面目な悪ふざけ」というワードが心に残りました。

今回は「悪ふざけ」について少し考えてみます。


なぜミニカーを走らせたいか

今回の成果物って真面目に作ろうと思えばいくらでも大真面目にできると思うんです。

中にいる人数をセンサーで常に監視して、それを超えた瞬間に警報を鳴らせばいい。

センサーの死角があったとしても、定期的に警備員が巡回して見つけ次第警報を鳴らせば、完全に規律順守させることも不可能ではありません。


でもこれってなんか嫌ではないですか?

常に監視されている感覚のせいなのか、規律順守による効果が見えにくいからなのかはわかりませんが、先述のような体制ってなんか堅苦しい気がします。

そもそもそんな会議室使いたくないなあとすら思ってしまいます。


それではなぜこの体制に堅苦しさを感じるのでしょうか?

最初に思いつく理由は、規律が強制力を伴っているからだと考えました。

「会議室は〇人まで」という規律は、普通に生活していればあまり意識する必要が無いもので、コロナ禍という特定の状況だからこそ順守するべきだと考えられるものですよね。

つまり、「ルールだから守りなさい」という外的な強制力がこの堅苦しさの原因のように感じます。


ところが、そこにちょっとした悪ふざけの要素が入ってくると、何か堅苦しさがなくなる気がしませんか?

今回の成果物のように、警報や警備員の巡回ではない方法のほうが、何となく堅苦しくない強制力が働く気がします(ここは個人差のある意見だと思います)。


これっておそらく、羞恥心だとか「音がなって恥ずかしいからやめとこう」みたいな、内的な抑止力が働くからだと思うんです。

「勉強しなさい」といくら言っても、聞かない子供は反発して話を聞きませんし、自発的に「勉強しなきゃ」と思える子供は自力で柔軟に勉強できるようになります。

これと同じように、外的な強制力には堅苦しさを感じて反発を買いそうだけれども、内的な抑止力は堅苦しくない上に反発も少なそうな印象。


もし頭の中で真面目なアイデアが浮かんだときは、どんな悪ふざけができるかな?と考えてみるのはすごくいいアイデアかもしれませんね。


真面目なアイデアに悪ふざけを

世の中大真面目なアイデアっていっぱいあると思うんですが、そこに一さじ悪ふざけを入れることで、謎の化学反応を起こしそうな気がします。

会議室で密になっていたら全員のスマホから「パプリカ」が鳴りだしたり。

会社で課長以上の人が扉を開けたら「インディジョーンズ」が鳴ったり。

会社紹介のHPでクリックしまくったら謎のシューティングゲームが始まったり。


真面目×悪ふざけ

効率効果×面白さ

堅苦しさ×緩さ

というフレームワークでアイディエーションをしてみるのもいいかもしれませんね。 






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