
普通の人になりたいと思っていた
小学生の頃、普通の人になりたいと思っていた。
それは、つまり、自分を普通の人じゃないと思っていたということ。
周りから変な子、変人と言われていた。
そんな自分、変な部分を気に入っていた。
周りの人、普通の人と同じになりたくないと思っていた。
でも、普通じゃないことが嫌でもあった。
今考えると、普通じゃないことが嫌だったのではなかったのかもしれない。
ただ、変な子、変人と言われるのが嫌だったのかもしれない。
変な子、変人と言われて、壁をつくられる、線を引かれる。
私とあなたは違う世界の人、同じじゃない、仲間じゃない、そう言われてるように感じていたのだと思う。
それが嫌だったのだと思う。
自分が自分のままで、周りの人に受け入れられて、特別な目で見られることがない、そんな世界を望んでいた。
普通に接してくれる、変って言わない、そんな人を求めていた。
「変わった子」と言われる子の居場所はどこにあるのだろうか。
変わった子と言われる子が楽しく幸せに生きていける世界はどこにあるのだろうか。
変わった子は、何が辛いのだろうか。
それは、仲間がいないこと。
周りの人に、疎外感、壁を感じること。
普通の人に擬態して生きていくことも多分できる。
でも、それでは、その人らしさとか、良いところが活きない。
孤立してはいけない?
どんな場所ならいい?
壁を感じることがない場所。
それは、どんなとこ?
同じような人の集まり?
変なヤツって言われない場所。
居場所。
普通じゃないことが普通の世界に行けばいい。
だから、大学は楽しかったんだと思う。
居心地が良かった。
普通じゃない自分を、これでいいんだと思えた
自分を普通だと思えた。
もっと変な人にならねばと思った。
就職するときに思った。
変な自分が変なままでいられるのは、ここまで。
社会に出れば、また、変な人として扱われる。
変なままではいられない。
普通の人に擬態して生きていかなければならない。
幸せに生きるために普通の人に擬態することは悪いことではないと思う。
でも、普通の人に擬態しなくても、幸せに生きていけるなら、その方が良い。
変わった子と言われていた子はどんな大人になったのだろうか。
仲間を見つけることはできただろうか。
自分の居場所を見つけることはできただろうか。