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「星のせいにして」を読んで

「星のせいにして」
エマ・ドナヒュー
吉田育未 訳
装画 荻原美里

✳︎ネタバレあり
きっかけはTwitterで書影をみかけ、魅力的な装画に惹かれたのと、コロナ禍の今、百年前のスペイン風邪(インフルエンザ)大流行時に奮闘した看護師の物語ということに興味を引かれて読んだ。
舞台はアイルランド、ダブリンのカトリック教会が運営する病院。主人公ジュリア・パワーは明日が三十歳の誕生日という中堅看護師だ。第一次世界大戦とインフルエンザの流行で患者は二倍、スタッフは四分の一という状況で、規則を臨機応変に守ったり破ったりしながら、看護師を天職として誠実に〈産科/発熱〉病室という命の最前線で奮闘している。これはジュリアの誕生日を挟んだ三日間の物語だ。

四つの章に分かれていて、それぞれのタイトルは「赤」「青」「茶」「黒」。
これについては読み始めてすぐにこの色の説明が出てくる。酸素欠乏時の皮膚の色(チアノーゼ)で、重症化するに従って赤→青→茶→黒と変化するという。黒はもうほとんど「死」の色だ。
こんな身も蓋もない章タイトルがあるだろうか。この色名の真意はよくわからない。別の何かの象徴かもしれないし、医療小説としての遊び心かもしれない。(そんな軽さのある小説ではないが敢えて)

序盤、いや全編辛いのだが、特に序盤のお産の描写は辛く、妊婦さんは読まない方が良いと思われる。病室のベッドは3台。結果的にここで三日の間に三人の妊婦と二人の胎児が亡くなり一人が死産している。(一人は名前だけの登場で出勤したら亡くなっていた)とにかく壮絶だ。もう一人いるはずの看護師が人手不足で別の病室に行ってしまい、ジュリアはここを一人で任されることになる。夜勤のシスター看護師と交代する時に、准看護師か見習いかせめてボランティアが雑用に必要だと訴える。

読むのが辛くて挫折しかけた頃、このボランティアが現れる。
ブライディ・スウィーニー。そばかすにボサボサの赤毛、薄手のコートに履き潰した靴。シスターから手伝うように言われたという。

 あの夜勤ナースの精一杯がこれってわけねーー無資格、無教育。訛りから分かる。無垢で今生まれましたって顔してる。何の苦労も知りませんって顔。このブライディ・スウィーニーを平手打ちしたくなるくらい、あまりに期待外れ。

最悪の第一印象だ。ところがすぐに評価が変わってくる。

この娘はベッドを整える手際が良い。これは簡単に教えられる物じゃない。

物も人手も足りない病室で、ブライディはジュリアの手足となってよく動く。

ふいに、彼女がとても美しいことに気づく。青白く、痩せ細っているけれど。ゴミ箱の中に、きらりと光るビーズが一粒。シスター・ルークはこの娘を、どこで見つけてきたんだろう?

立て続けに困難なお産に対処し続け、ようやく一日の終わりを迎えた帰り道、ジュリアはブライディとの会話の中で彼女が孤児であり修道院本部(マザー・ハウス)に寄宿していることを知る。
著者あとがきに「ブライディ・スウィーニーの人生についての細かい設定は、2009年に発表されたライアン・レポートに収められたおぞましい証言を基にしています。この報告書は、アイルランドの寄宿施設についてまとめられた物です」とあり、この後ブライディの虐待を受け続けてきた人生が次第に明らかになっていく。
未熟な主人公が経験を積んで成長していく話はよくあるが、ジュリアは既にバリバリ仕事をこなす中堅で人となりにも好感の持てる完成した大人に見える。しかしそんなジュリアにも無知や偏見が潜んでいたことに、ブライディが気づかせてくれた。
翌朝、ジュリアは今日もブライディが来てくれるのか聞き忘れたことに気づく。そしてまた病室での一日が始まった時、彼女が現れる。

ドアから赤い巻き毛が入ってきて、私は安心感でくらくらした。おはよう、ブライディ!
彼女はくるりと私に顔を向け、にかーっと笑ってみせる。

怒涛の二日目も終わり、また二人で帰る時、気分転換に病院の屋上に上がって星を眺めながら語らう。

ブライディは言う。この二日間は、あたしの人生で、最高の二日間だった。

ジュリアが子どもはいらない、結婚したいかどうかもよく分からない、どっちにしろもう時期を逃しちゃったけど、と言う話になった時、突然に、ブライディがジュリアにキスをする。

彼女は私の顔をつかみ、キスした。
ノーもなく、言葉もなく、制することもせず、ただ。私はそれをーー
彼女のーー
そのキスを受け入れた。

Twitterではこの小説をクィアのカテゴリーで紹介しているのを見かけていたので、前知識はあったのだが、この瞬間までこの展開は予想出来なかった。ジュリア自身が気持ちを自覚していないのだから読者にも見えてこない。本当に?と遡ってジュリアのブライディに対する印象を拾い集めたのが、ここまで引用してきたものだ。
こうしてみると、第一印象最悪の状態から、急速に好感、好意、頼る気持ち、そして同情を芽生えさせていたことが読み取れる。困難な状況にある二人が恋愛感情を抱く吊り橋効果の可能性もあるかも知れない。(ブライディは人生全て困難な状態だったのだからジュリアの方は)
二人はそのまま三日目を迎え病室に戻る。
差し込む朝日にブライディがくしゃみを一つする。(フラグやん)と思うまもなくブライディは死へと急転直下する。
愛を自覚し合った直後の相手の死。
これらの展開、もう悲恋物語の王道とも言えるが、様々な困難で息つく暇もない三日間の出来事なのだ。
最後にジュリアはこれまで築いてきた看護師人生をひっくり返すような大胆な決断をする。「詰み」と「希望」は表裏一体だ。ラストシーンは希望が感じられ、凄惨な話を読んできたにも関わらず読後感は清々しい。
現実としての物語をチクチクと積み上げてきた最後の最後に突如、もはやファンタジーな展開に昇華するこのラストの感じには覚えがある。ガルシア=マルケスの「コレラの時代の愛」だ。奇しくもどちらも感染症の蔓延する世界での物語だった。

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