ジョジョの奇妙な冒険のDIOの私生活に役立ててはいけない名言を網羅してみた
どうも主に姫路にいるhideです。
毎日好き勝手な事書いて、友達の仕事を手伝って、あんまり働かずにチンタラ頑張って生きてます。
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なんでも利用してやる!
DIOの勝つためには何でもやる!という姿勢。マキャベリズムを通り越したディオイズム!昭和のカリスマである。
そこに他者への配慮など1ミリも存在しない。完全に嫌なヤツだが突き抜ける事でもはや魅力的にすら映る。
キングオブ悪のカリスマの片鱗が最初から伺える。
媚びる存在が嫌い
お世話になる家の飼い犬を向かってきた瞬間に思いっきり蹴り上げた後にこのセリフ。完全に嫌なヤツなんだが、その理由には妙に納得させられるものもある。
徹底的に痛めつける
暴力!この世は暴力が全て!
まずは肉体的に逆らえないように痛めつける!!逆に1部の中盤でジョジョの爆発的な怒りを買った時に「君が泣くまで殴るのをやめない!」と徹底的に暴力で返される仕返しをくらってるのもエモい。暴力は最強の人心掌握なのだ。
人心掌握
肉体的に痛めつけるのはもちろん
精神的にも痛めつけていく。
その手段として友達を作らせない。
悪のカリスマはいわゆるイジメを堂々とやり抜く。
実質レイプ
ジョジョと恋仲になりそうなエレナに無理矢理キスをしてみせて「さすがディオ!俺たちにできないことを平然とやってのける!そこにしびれる!あこがれるぅ!」と言わしめたシーンだが、キスぐらいで、、と思う人もいるだろう。
これは少年誌なのでキスという表現に抑えられているがやってることはいわゆるレイプである。そう捉えて読むとディオの狙いや効果も理解できるはずだ。
俺は人間をやめるぞ!
悪事が徐々にに通用しなくなった1部の中盤の山場。とうとうディオが人間から吸血鬼になるシーン。
目的のためには人間でなくなることも厭わない。
素晴らしい悪
漫画では切り裂きジャックという実在した連続殺人鬼をモチーフにした外道をディオが仲間にするというエピソードがある。その切り裂きジャックに話しかけて吸血鬼とするシーン。
人ならざるものに人の法も常識も意味をなさない。物事に単純な善悪はないとは思うが、人社会において「邪悪」は存在させてはいけない。
人とは悪という素晴らしいモノに逆らう理性を持たねばならない。
悪とは魅力的すぎるのだ、、
パンの枚数
人は食事からエネルギーを得て生きていく。吸血鬼であるディオにとって、人をいくら殺そうがそれは食事なのだ。
そこでこの名言である。
母に食い殺される子ども
ディオ達に囚われ、命を失うことが決定した母と子。母は自分はどうなってもいいから我が子だけには"手をかけないでほしい"と懇願する。ディオは「2人一緒に仲間になった方が良いと思うが、、」と言う。それでも母は子を助けたい一心で懇願し続ける。
ディオは意外にもその約束を受ける。
そして守る。
ディオ達吸血鬼は子どもには一切手をかけない、、子どもを食い殺すのは吸血鬼となった母自身というなんとも後味の悪い悲劇。
これを改めて見て「鬼滅の刃」でも有名な「生殺与奪の権利を他人に握らせるな!」という言葉を思い出しました。
友達になろう
ここから第3部の描写になる。
ディオは1部と3部に登場するそれぞれのラスボス。1部ではシンプルな邪悪として君臨していたが3部ではそこにある種、教祖感のようなものも纏っている。
力技で支配するだけでなく他人の心にも寄生し心酔させる、もともともっていた人心掌握術だが、人ならざるモノとなってからはあまり露骨には使わなくなっていた。3部ではそれを再び使い出した感じがある。
生きるとは何だ?
「"生きる"ということは何だ?」
ディオは一度ジョジョに敗れ、生きるとは何か?を深く考えるようになる。
それは恐怖を克服することだと。
安心を得るために生きる
恐怖を克服するとはつまりどういうことか?安心を得ることだと具体的におとしこんでいく。
確かにほとんど全ての行動は安心に結びつけられる。
挑戦しないことも、挑戦することもどちらも安心に繋がっている。
人社会は安心競争だ。
歩道が広いではないか
人ではないものに人のルールなど関係ない。車で前に進みたい時に目の前にビルが聳え立っていれば進むことはできない。車が壊れ乗っている自分が怪我をしてしまう。
だが人がいたからなんだというのか?
人なんぞは車で問題なく跳ね飛ばせる。
全くの愚問である。
行け!
めちゃくちゃ面白さもある名シーンだ。
脚をひろってこい
脚を拾って持っていけば、なんとなくメリットがありそうなものだが(助かるとか)もちろんそんなことはなくしっかりと血を吸われ殺される。
息を吸って吐くように他者を犠牲にできる存在はいつでもどこでもめちゃくちゃ強い。しかしそういう生き方しかできないので大勢に打倒され排除される。
それが人を殺してはいけませんよ!などの法の力だ。悪は排除しても良い。悪は排除しましょう!という暴力法のおかげ。多くの弱者が協力した暴力により一つのとてつもない暴力を制圧できるのだ。
選ばれしもの
傲慢な理屈だが理にかなっている。
誰も彼もが良き生活を水準とする必要はない。誰も彼もが贅沢をしているからバランスが崩れている。
世界を平和にしたいなどという寝ぼけた事を先進国に住む人間が口にするべきではない。
なじむぞ!!
なじんでいるらしい。
最高にハイ!
最高にハイ!らしい。
過程より結果
当初より一貫として「結果が全て」
目的のためには手段を選ばず美学もない。圧倒的な悪。
その姿勢がもはや美学となっている。
「過程や方法なぞどうでもいい!」
歴史とはそういう勝者の歴史でもある。
ディオは超一流の独裁者だ。
打倒されるまでは。
しかし人間とはそんな生き物ではない。
結果だけにこだわってはいけない。
結果だけにこだわるなら人は人である必要はない。倫理観など一番のゴミだ。
ディオのようになれないのであれば結果が全てなど絶対に口にしてはいけないのだ。なのに人は簡単に言う「結果こそが全て」だと。
愚か者たちのオモシロ歴史の成れの果てが現代だ。どこまで続くのかはすごく気になる。
天国とは?
1部と3部で純粋なディオの出番は終わりだが6部には結構過去回想でディオが現れるしセリフも多い。
3部でジョジョ達に出会う前の時間軸だ。
生きる事とは?と同時に
天国に興味を持っていたようである。
身体だけでなく精神も人ならざるものになりたかったのだろう。
恐怖を克服。
安心を得る。
それを抽象化すると"天国に行く"ということなのだろう。
本当の幸福
どんなものを手に入れてもそこに幸せはない。天国というものは思うに各々にとって違うものなのだと思う。
ディオにとっての天国があればあなたにとっての天国もある。
何せ天国に辿り着くことが重要らしい。
ガンダーラだとか悟りだとかそういう宗教的な概念も混ざっている気がする。
適材適所
6部のディオは穏やかで妙に真っ当な事をよくいう。
作者としても現代の時代の変化や心境があるのだろうが、6部回想のディオは綺麗なディオだw
これは生き方や在り方の話だろう。
ここから「過程や方法なぞどうでもいいのだぁ!!」になるのもなかなか面白い。
アートとはスタンド
アーティストとはスタンド使いなのか!!
出会いの意味
ディオは人間を食べ物として捉えているがさらに思想が成熟していくに従い何かしらの意味のようなものを人との出会いにも感じていたようだ。
良いやつになる、、というようなことは決してない悪のままではあるが、それでも明らかになってるだけで4人もの子孫を残していたりもする。