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ジョジョの奇妙な冒険のDIOの私生活に役立ててはいけない名言を網羅してみた

どうも主に姫路にいるhideです。
毎日好き勝手な事書いて、友達の仕事を手伝って、あんまり働かずにチンタラ頑張って生きてます。
漫画とゲームと音楽好きです♬
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なんでも利用してやる!

「ひとりでも生きられるが、利用できるものはなんでも利用してやる」

DIOの勝つためには何でもやる!という姿勢。マキャベリズムを通り越したディオイズム!昭和のカリスマである。
そこに他者への配慮など1ミリも存在しない。完全に嫌なヤツだが突き抜ける事でもはや魅力的にすら映る。
キングオブ悪のカリスマの片鱗が最初から伺える。


媚びる存在が嫌い

「ぼくは犬が嫌いだ!怖いんじゃあない。人間にへーこらする態度に虫唾が走るのだ!」

お世話になる家の飼い犬を向かってきた瞬間に思いっきり蹴り上げた後にこのセリフ。完全に嫌なヤツなんだが、その理由には妙に納得させられるものもある。


徹底的に痛めつける

「顔面に一撃!ゲームは僕の勝利!
しかしまだまだ安心するなよ!
このままッ!親指を!こいつの!目の中につっこんで!殴り抜ける!」

暴力!この世は暴力が全て!
まずは肉体的に逆らえないように痛めつける!!逆に1部の中盤でジョジョの爆発的な怒りを買った時に「君が泣くまで殴るのをやめない!」と徹底的に暴力で返される仕返しをくらってるのもエモい。暴力は最強の人心掌握なのだ。


人心掌握

「強いヤツとか何かをしてくれるヤツと友達になりたいとは誰もが思う事!
こうやってまずジョジョから友達を取り上げる!」

「孤独は人間をカラッポにするからな!ヤツを無気力なフヌケにしてやる!」

肉体的に痛めつけるのはもちろん
精神的にも痛めつけていく。
その手段として友達を作らせない。
悪のカリスマはいわゆるイジメを堂々とやり抜く。


実質レイプ

「手段は問題ではないッ!キスをしたという結果があればいい!これでジョジョとこの女の仲も終わりになる」

ジョジョと恋仲になりそうなエレナに無理矢理キスをしてみせて「さすがディオ!俺たちにできないことを平然とやってのける!そこにしびれる!あこがれるぅ!」と言わしめたシーンだが、キスぐらいで、、と思う人もいるだろう。
これは少年誌なのでキスという表現に抑えられているがやってることはいわゆるレイプである。そう捉えて読むとディオの狙いや効果も理解できるはずだ。


俺は人間をやめるぞ!

「人間ってのは能力に限界があるなぁ。おれが短い人生で学んだことは 人間は策を弄すれば弄するほど予期せぬ事態で策がくずれさるってことだ!人間を超えるものにならねばな、、俺は人間をやめるぞ!!ジョジョーーッ!!」

悪事が徐々にに通用しなくなった1部の中盤の山場。とうとうディオが人間から吸血鬼になるシーン。
目的のためには人間でなくなることも厭わない。


素晴らしい悪

「たいていの人間には心に善のタガがあるッ!そのために思い切った行動がとれんッ!すばらしい悪への恐れがあるのだッ!」

「だが!ごくまれに善なるタガのない人間がいる、、悪のエリート!おれや、、君がそうだ、、どうだ?このディオの下僕にならないか?」

漫画では切り裂きジャックという実在した連続殺人鬼をモチーフにした外道をディオが仲間にするというエピソードがある。その切り裂きジャックに話しかけて吸血鬼とするシーン。

人ならざるものに人の法も常識も意味をなさない。物事に単純な善悪はないとは思うが、人社会において「邪悪」は存在させてはいけない。
人とは悪という素晴らしいモノに逆らう理性を持たねばならない。

悪とは魅力的すぎるのだ、、


パンの枚数

「おまえは今まで食ったパンの枚数をおぼえているのか?」

人は食事からエネルギーを得て生きていく。吸血鬼であるディオにとって、人をいくら殺そうがそれは食事なのだ。
そこでこの名言である。


母に食い殺される子ども

「あなたはこう希望しているわけだ。
"自分の命はわれわれに献上してもいいが子供には手をかけないでほしい"と
そうかね?」

「泣けるじゃあないかOK!わたしと彼ら全員誰もその子に決して手をかけることはしない!このディオ誓おうではないか!」

「フン!言ったとおり我々は手をかけん。
食い殺すのは母親のきさまよ」

ディオ達に囚われ、命を失うことが決定した母と子。母は自分はどうなってもいいから我が子だけには"手をかけないでほしい"と懇願する。ディオは「2人一緒に仲間になった方が良いと思うが、、」と言う。それでも母は子を助けたい一心で懇願し続ける。

ディオは意外にもその約束を受ける。
そして守る。

ディオ達吸血鬼は子どもには一切手をかけない、、子どもを食い殺すのは吸血鬼となった母自身というなんとも後味の悪い悲劇。

これを改めて見て「鬼滅の刃」でも有名な「生殺与奪の権利を他人に握らせるな!」という言葉を思い出しました。


友達になろう

「どうだねひとつ、、私と友だちにならないか?君は悩みをかかえている、、苦しみをいだいている、、わたしとつきあえばきっと心の中から取りのぞけると思うんだ」

ここから第3部の描写になる。
ディオは1部と3部に登場するそれぞれのラスボス。1部ではシンプルな邪悪として君臨していたが3部ではそこにある種、教祖感のようなものも纏っている。

力技で支配するだけでなく他人の心にも寄生し心酔させる、もともともっていた人心掌握術だが、人ならざるモノとなってからはあまり露骨には使わなくなっていた。3部ではそれを再び使い出した感じがある。


生きるとは何だ?

「"生きる"ということは何だ?」 

「戦いに敗れ欲するものが手に入らなかった場合、挫折感と敗北感を味わい傷つき、、そして次なる戦いのとき"恐怖"を感じることになる、、」

「おれは"恐怖"を克服することが"生きる"ことだと思う。世界の頂点に立つ者は!ほんのちっぽけな"恐怖"をも持たぬ者ッ!」

ディオは一度ジョジョに敗れ、生きるとは何か?を深く考えるようになる。
それは恐怖を克服することだと。


安心を得るために生きる

「人間は誰でも不安や恐怖を克服して安心を得るために生きる」

「名声を手に入れたり、人を支配したり、金もうけをするのも安心を得るためだ。結婚したり、友人をつくったりするのも安心のためだ。人のために役立つだとか愛と平和のためにだとか、すべて自分を安心させるためだ。安心を求める事こそ人間の目的だ。」

恐怖を克服するとはつまりどういうことか?安心を得ることだと具体的におとしこんでいく。
確かにほとんど全ての行動は安心に結びつけられる。
挑戦しないことも、挑戦することもどちらも安心に繋がっている。
人社会は安心競争だ。


歩道が広いではないか

「軽トラックに追いつくまで飛ばせ、、
追いつけなければ殺す。」
「歩道が広いではないか。行け。」

人ではないものに人のルールなど関係ない。車で前に進みたい時に目の前にビルが聳え立っていれば進むことはできない。車が壊れ乗っている自分が怪我をしてしまう。
だが人がいたからなんだというのか?
人なんぞは車で問題なく跳ね飛ばせる。
全くの愚問である。
行け!

めちゃくちゃ面白さもある名シーンだ。


脚をひろってこい

「おい、、女、、そこにあるおれの脚をひろって持って来い」
「早く持って来いッ!!スチュワーデスがファースト・クラスの客に酒とキャビアをサービスするようにな、、、」

脚を拾って持っていけば、なんとなくメリットがありそうなものだが(助かるとか)もちろんそんなことはなくしっかりと血を吸われ殺される。

息を吸って吐くように他者を犠牲にできる存在はいつでもどこでもめちゃくちゃ強い。しかしそういう生き方しかできないので大勢に打倒され排除される。
それが人を殺してはいけませんよ!などの法の力だ。悪は排除しても良い。悪は排除しましょう!という暴力法のおかげ。多くの弱者が協力した暴力により一つのとてつもない暴力を制圧できるのだ。


選ばれしもの

「静止した時の中を動けるのはたったひとりでなくてはならない、、」
「思うに自動車という機械は便利なものだが誰も彼もが乗るから道路が混雑してしまう」
「止まった時の中はひとり、、このDIOだけだ」

傲慢な理屈だが理にかなっている。
誰も彼もが良き生活を水準とする必要はない。誰も彼もが贅沢をしているからバランスが崩れている。
世界を平和にしたいなどという寝ぼけた事を先進国に住む人間が口にするべきではない。


なじむぞ!!

「なじむ!実に!なじむぞ!」

「この肉体は100年前のジョナサン・ジョースター、、今、吸い取ったのはその孫ジョセフの血、、そしてわざわざここまで逃してくれたのは承太郎、、お前自身だ」

「ジョースターの血統というのは我が運命という路上にころがる犬のクソのようにジャマなもんだったが、、最後の最後はこのDIOに利用されるのがジョースターの宿命だったようだ」

なじんでいるらしい。


最高にハイ!

「100年前に不老不死を手に入れたが、、これほどまでにッ!絶好調のバレバレとした気分はなかったなぁ、、最高にハイってやつだァー!」

最高にハイ!らしい。


過程より結果 

「このどたん場に来て、、やはりお前は人間だ、、ごく短い時の流れでしか生きない人間の考え方をする」

「あと味の良くないものを残す。とか人生に悔いを残さない。だとか、、便所のネズミのクソにも匹敵するそのくだらない物の考え方が命とりよ!」

「このDIOにはそれはない、、あるのはシンプルなたったひとつの思想だけだ、、たったひとつ!勝利して支配する!それだけよ、、それだけが満足感よ!」

「過程や、、方法なぞ、、!どうでもよいのだァーーーッ!」

当初より一貫として「結果が全て」
目的のためには手段を選ばず美学もない。圧倒的な悪。
その姿勢がもはや美学となっている。
「過程や方法なぞどうでもいい!」
歴史とはそういう勝者の歴史でもある。
ディオは超一流の独裁者だ。
打倒されるまでは。

しかし人間とはそんな生き物ではない。
結果だけにこだわってはいけない。
結果だけにこだわるなら人は人である必要はない。倫理観など一番のゴミだ。
ディオのようになれないのであれば結果が全てなど絶対に口にしてはいけないのだ。なのに人は簡単に言う「結果こそが全て」だと。
愚か者たちのオモシロ歴史の成れの果てが現代だ。どこまで続くのかはすごく気になる。


天国とは?

「天国へ行く方法があるかもしれない」

「わたしの言ってる天国とは精神に関する事だよ。精神の向かう所、、死ねって事じゃあない。精神の力も進化するはずだ。そしてそれの行きつく所って意味さ。君なら私のいってる事がわかると思うが、、」

1部と3部で純粋なディオの出番は終わりだが6部には結構過去回想でディオが現れるしセリフも多い。
3部でジョジョ達に出会う前の時間軸だ。

生きる事とは?と同時に
天国に興味を持っていたようである。
身体だけでなく精神も人ならざるものになりたかったのだろう。

恐怖を克服。
安心を得る。
それを抽象化すると"天国に行く"ということなのだろう。


本当の幸福

「本当の幸福がそこにはある。天国へ行く事ができればな、、。幸福とは無敵の肉体や大金を持つ事や人の頂点に立つ事では得られないということはわかっている」

「真の勝利者とは天国を見た者の事だ、、どんな犠牲を払ってもわたしはそこへ行く」

どんなものを手に入れてもそこに幸せはない。天国というものは思うに各々にとって違うものなのだと思う。
ディオにとっての天国があればあなたにとっての天国もある。
何せ天国に辿り着くことが重要らしい。
ガンダーラだとか悟りだとかそういう宗教的な概念も混ざっている気がする。


適材適所

「どんな者だろうと人にはそれぞれその個性にあった適材適所がある。王には王の、料理人には料理人の、それが生きるという事だ。スタンドも同様、強い弱いの概念はない」

6部のディオは穏やかで妙に真っ当な事をよくいう。
作者としても現代の時代の変化や心境があるのだろうが、6部回想のディオは綺麗なディオだw

これは生き方や在り方の話だろう。

ここから「過程や方法なぞどうでもいいのだぁ!!」になるのもなかなか面白い。


アートとはスタンド

「すぐれた画家や彫刻家は自分の魂を目に見える形にできるという所だな、、まるで時空を超えたスタンドだ。」

アーティストとはスタンド使いなのか!!


出会いの意味

「君は引力を信じるか?この出会いに意味があるという事を!」

ディオは人間を食べ物として捉えているがさらに思想が成熟していくに従い何かしらの意味のようなものを人との出会いにも感じていたようだ。
良いやつになる、、というようなことは決してない悪のままではあるが、それでも明らかになってるだけで4人もの子孫を残していたりもする。


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