『猫を抱いて象と泳ぐ』感想
繊細で、切実で、透き通っていて、真っ直ぐで、息をすることを忘れてしまう作品だった。
静かで、あたたかいのにすぐそばには寂しさとひんやりとした冷たさがあり、目を離した次の瞬間には消えてしまいそうな脆さを感じる。
チェスのルールは知らなくても問題ない。
ルールを知らない彼のおばあちゃんが、彼と老婆令嬢の駒の動きに美しさを感じたように、わたしたちもチェスの広大な宇宙を、チェスの海の広さと深さを見ることができる。
優しく大きな手を持つマスターを、インディラが耳を広げて飛び立つ姿を、耳を立てて盤上が奏でる詩に集中するポーンを、照れ臭そうに笑うミイラと彼女の肩に止まる鳩を、チェスで語りかけるリトル・アリョーヒンを感じられる。
無駄な言葉が一つもない、凛とした静謐な物語。
言葉なんかいらない彼の生涯を、言葉を紡いで小川洋子は描き切った。
わたしはチェスを知らないけれど、ポーンとビショップに触れてみたい。8×8のチェス盤から、海へ、宇宙へ、ここではないどこかへ行ってみたい。
言葉ではなく、チェスで語り合ってみたい。十の一二三乗のひとつになりたい。
そのためには駒の動かし方、ルールを覚えなければ。
言葉のいらないチェスと、言葉が必須なエッセイは遠く離れているように見えるけど、美しさや呼応することを求めたリトル・アリョーヒンのように美しい文字を連ねて、じぶんの中の大切なものと言葉を交わす文章を書いてみたいと思った。