響く大地の歌声
先日、立秋を迎え、秋が生まれましたね。夏の暑さに生まれたての小さな秋は静かにひっそりと時を待っている感じ。本当に小さいので、一瞬で通り過ぎてしまいますが、朝晩は涼しい風が吹き、夕方にはツクツクボウシが鳴き始め、夏が終わるんだな。って、寂しく感じる今日この頃。
ふと、思い出した「小さい秋みつけた」という曲に懐かしさを感じます。
この童謡を知っているということは世代がバレてしまいますね( ゚Д゚)
毎年、必ずやってくる季節の移り変わり。地球が誕生して、大陸が現れ、気候が安定してから変わることなく、地球の営み。
太陽は東から昇り、西に沈み、月は約30日で新月から満月へと姿を変え、満ち欠けていく。星は太陽や月のように変化することなく、決まった場所・決まった時期に輝き続ける。
私たち人間は目の前のこと・もの、そして、目に見えるもの・物質に対して意識を向ける傾向がある。目の前のこと・もの、見えるもののさらに奥に
広がる世界には意識をもっていきにくい。特に、感じないこと見えないことには不安・恐れ・疑いの思考が働く。
「この暑い時期に秋?まだ、夏でしょ。昔のことだから、今季節がズレているんだよ」って数年前までの私も感じてました。
二十四節気七十二候に出会い、最初は「へぇ~今、夏なのに秋になったんだ~」と書いてあることを読んで、手帳に書いてみる。まだ、他人事のようで暑い・寒いは感じたので、「大暑・大寒は本当だ~。」って思い、七十二候は詳しく季節の様子が書いてあるので、「ふぅ~ん。今日から涼しい風吹くんだ~。」って思うとこころに残るので、「あっ!涼しい風吹いたっぽい?」となんとなく感じるようになる。って繰り返していくと、だんだんと季節の移り変わりを感じられるようになり、今に至ります。自然のサイクルは決まっているけど、私たちに見せる姿は二度と同じはない。毎日、気づくことがあるから面白い。
自然は公平にすべての人の前にすでに存在している。
この人の前になくて、あの人の前にある。なんてことはあり得ない。
感じ方は千差万別。気づく人・感じる人もいればそうでない人もいる。気づき・感じるもそれぞれ感性が違うからどう感じるかはその人次第。それぞれの環境や置かれている場所、何をしているか?など、性別や年齢でも違うから平等ではない。そこに「善」・「悪」・「優」・「劣」などのジャッジはない。
それが対「人」・「ものごと」・「出来事」などになるとジャッジしてしまう。目に見える・目の前のこと・ものになると強く引っ張られてしまう傾向がある。競争心などの思考が二元性に火をつけてしますね。
自分を責めたり、言い訳したり、相手を責めたり・・・。自分を自分で苦しめてしまう気づかないうちにハマっていくループ。
自然の中に身を置くと色んなカタチがあり、花があり、虫がいて、そこには
調和があり、夏には夏の、秋には秋の風景がある。ただ、それぞれが存在しているだけで、誰も「この花があるのは変!」「今、この季節が来るのはおかしい!」「この虫がここいるのはよくない」ってことは言わない。誰もが季節を受け入れていて、暑さが厳しくても心地よく過ごすために工夫しながら過ごしている。心地よい風を感じ、虫の鳴き声を聞き、風になびいて踊る木々たち、空を舞う鳥や虫、川で遊ぶ子供たち、そこに存在しているすべてが合わさり、まるで地球協奏曲を奏でているオーケストラのように感じる。私は地球協奏曲を聴いている観客。
人も自然の一部である。「人」単体で見ると、二元性の思考が働いてしまう。それは歴史や教育がそうだった。さかのぼると弥生時代くらいまで遡るかな。二元性の方が国などを統一しやすいので・・・。
私は人・自然・地球・感じる・感じない・目に見えない・目に見えるなどすべての垣根を越えて、すべてが一つ。ワンネスの世界。違うからこそ助け合い、支えあうことができ、尊重しあえる。以前に書かせてもらった「一人ひとり違っていい」に繋がりますが、みんな同じだと助けることできない。できることとできないことが同じだから尊重も生まれない。違うからこそ、交わることができる、一つの地球という大きな球をカタチ創ることができる。
目に見えないことは龍や神様、麒麟、鳳凰などのイメージがあるけれど、思考・感情・季節・風なども目に見えない。どれも感じることができる。感じることができると、認識するので目に見える部類に入っている。ただ、かわりやすくカテゴライズしている。そのカテゴライズを少しずつ低くして、
それぞれがこの地球に響いている大地の歌声を感じて、融合していくと
地球がワンネスになり、「弥勒(369)の世界になる」
これを私は愛の星の地球と呼んでいます。
7代先に遺したいこの美しいアクアの国地球。
自然豊かで、生き物たちの楽園の地球。
この地球の恵みを受けながら生きている。
この地球が私に注いてくれている愛を地球に
今度は私の愛を地球に注いでいくとき。
その為に、世界が歓びが満ちていて、希望の灯が小さくても灯り、愛が溢れているようなこころの人たちにしていくために人生を捧げています。
第一歩は声を出すこと。
みんなのこころに愛が届きますように。
大切に育んで、いつしか大きな愛の泉なり、
みんなの愛で地球を包み込んでいけますように。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
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