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そして「オーセンティック」という言葉は手垢にまみれた(1)

10年くらい前から、訳し方に困る英語のナンバーワンになったのが authentic とか authenticity という言葉。もともとの「本物(の)」とか「正統派(の)」という意味から派生して、「忠実」とか「誠実」という意味でも広く使われるようになりました。近年、 authentic という言葉は語彙が少ない人が使う決まり文句にまで落ちぶれた感があります。

authentic ってどういう意味ですか、とChatGPTさんに尋ねると、長々と蘊蓄を語ってくれます。文脈によって訳語を工夫せねばならぬ事情もわかっていただけるでしょう。しかし日本語にはカタカナという便利なものがあり、ここまで含蓄が膨張すると、もう堂々と「オーセンティック」とカタカナで放置し、あとは読む人が意味を知らなければ勝手に調べてくれ、と逃げても許されるようになります(と決めつける)。

ここでは私が個人的に英語圏生活30年で目撃した authentic という言葉と社会の関係について語ります。

文化人類学の授業での authenticity

カナダの大学院で文化の authenticity について勉強する授業を取りました(1995年)。文化の正統性とはなんぞや?自分がこの授業の先生だったら、日本の回転寿司で食べる寿司は文化的に「正統」なのか、それとも回らない寿司が「正統」なのか、はたまた「カルフォルニアロール」は「正統」な寿司なのか、といった話題をネタにしたことでしょう。そして歴史上の支配者層が「どこぞの馬の骨」を組み込みながらも王朝の正統性を主張してきた事例を挙げ、文化的正統性とは流動的なものである、という論を展開してみたかった。

しかしこの授業でのトピックは、「白人が描く原住民文化は正統ではない」という件に限定されていました。ディズニーの「ポカホンタス」が槍玉に上がってましたね。白人アメリカ社会は原住民文化を勝手にアメリカナイズして金儲けをしている、これは文化的剽窃であり文化の植民地化だ、という論に皆が「そうだそうだ」と頷きあうという。

あの頃、授業中に私が考えていたのは、「ベルサイユのばら」とか「トーマの心臓」とかも文化的剽窃になるのかな?私はアメリカ映画で日本のサムライが中国風の衣装を着てても笑っちゃうだけで正統性ガーとか言わないけどな、でも日本の大河ドラマで時代考証まちがってたら指摘しちゃうかも。そういえばアメリカのハイスクールが舞台の一条ゆかりの漫画で主人公が「掃除当番をサボる」っていう場面があったけど、アメリカの高校に掃除当番はないんじゃ?あれは日本の紅毛漫画における文化的正統性の欠如だな。

….というようなことばかりだったので、文化の植民地化と人種差別について鼻息荒く議論している集団にはとても入っていける雰囲気ではありませんでした。

まもなくカナダの首相をお辞めになるジャスティンが、まだ教師として働いていたころに仮装パーティーで「顔を黒く塗った」のも、この時代だったと思います。ジャスティンのガングロ写真は彼が首相になってから掘り起こされて一大スキャンダルになります。白人が黒人の真似をして顔を黒く塗るのはレイシズムであるということで。

個人的にはジャスティンに同情しました。あの頃、仮装として顔を黒く塗ることが文化的正統性に対する犯罪だなどと思っていたのは文系の大学院生くらいです。しかし首相であるからにはリーダーとして過去の過ちを謝罪せねばならない。こうして社会では人種差別に対する意識が高まり、一方で「キャンセルカルチャー」という、世の中の分断を招く文化が育っていくのです。

文化の authenticity という概念は、人種差別との戦いにおける武器として使われていた。この文脈では、「正統性」という日本語が普通にしっくりときます。(続く)

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