借り物か自分の物か
小学生時代、
野球少年になる前は
カブスカウト
(ホーイスカウトに入る前の小学生)
に所属していたので、
キャンプには行って
いたのですが、
それ以来、
よくキャンプするようになったのは、
大学生になって音楽に導かれてでした。
それまで、
現代生活に埋没していた自分は、
食器を洗う水のことや、
食べた後のゴミがどうなるか、
なんて意識したこともありませんでしたが
キャンプという自然環境で
暮らしがシンプルになると、
自分のしている行為が
どのような結果になるかが目に入ってくる。
食器を洗えば、使った洗剤が
そのまま山の中へ流れて行くし
プラスチックゴミを落とすと
分解されずにそのまま残る。
そんな当たり前のことが
実感として身体感覚に入ってくる。
しつけられているし
学校でも学んでるから
当然分かってはいるはず。
けれども、
何というか
借り物であって、
自分の物になっていない、
と言うことかもしれません。
トイレに至っては、
もう目も当てられないような事態に
なっているところもあり、
それを誰にも気持ちよく
使ってもらえる状態に戻す掃除体験も
自分の中で何かが大きく動く
体験になりました。
そして、
踊り明けたある爽やかな朝方
森の中を散歩していると、
ふと、ペットボトルが
目に飛び込んできたのです。
普段の生活の中で
落ちているペットボトルは
たくさん見てきたはずだけれども、
そのときのペットボトルは、
僕の中の記憶では、
キラキラと輝いていて、
まるで生きているかのように、
語りかけてきました。
その時、
僕はそのペットボトルと
自分が同じ存在である
と感じたのです。
その存在に違いはなかった。
都市生活で
分断されているかのような
世界で生きているから
その繋がりを
感じることはなかったけれども
自分たちは繋がっている。
だから、
そんな繋がりを感じる
まちづくりがしたい
そう思うようになったのです。
それから、
自分と自然と物との繋がりの
探求が始まりました。