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近田春夫『調子悪くてあたりまえ 近田春夫自伝』(リトルモア)

この軽薄そうな遊び人は誰だ

「ほら、ここ見て。この『1日中ボケーッ』っていう曲でさ、客席が映るんだけど……これこれ! 写ってるの俺だから。両手挙げてるの、これね」。テレビ画面を指差しながら、当時大学生だった私は興奮気味に友人へ説明していた。その頃、ビデオデッキはおろかテレビすら持っていなかったため、ビブラストーン渋谷公会堂ライブを収録した『VIDEOSTONE』のVHSを購入した後、友人宅で強引に鑑賞会を開いていたのである。ビブラストーンの登場は激烈だった。ホーンセクションを擁する大人数のヒップホップバンドで、演奏の迫力に圧倒された私は足しげくライブへ通うこととなる。フロントでラップをしているのは、サングラスをかけたいかにも軽薄そうな人物で、その遊び人のような風情が印象に残った。この人は誰だ? 音楽雑誌を読んだところ、「恋のぼんちシート」の作詞作曲者だと書かれてあり驚いた。それまで、近田春夫という人が誰なのか私はまったく知らなかったのだ。

ミュージシャン、CM音楽製作者、タレント、音楽評論家。近田春夫が全人生を語りおろした著書が『調子悪くてあたりまえ 近田春夫自伝』である(なお「調子悪くてあたりまえ」とは、先述したヒップホップバンド、ビブラストーンの曲タイトルだ)。慶應幼稚舎の時代から現在までが順を追って語られるのだが、何より驚くのは(笑ってしまうのは)、ほとんど『フォレスト・ガンプ』的と言っていい、近田とさまざまな人びととの遭遇である。よくぞこれだけたくさんの人と知り合い、出会うきっかけがあったものだと感心してしまう。音楽業界、テレビ業界で長年働いていれば、後に成功する人物と知り合う機会もあるとは思うが、その意外性の連続にはほとんど小咄のようなユーモア感覚があるのだ。

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「高校で同学年になったのが(…)ユーミンの旦那の松任谷正隆だね」
「ちなみにこの亮二の娘さんが、芥川賞を受賞した作家の朝吹真理子さんになるんだよ」
「当時よく遊んでた仲間のひとりに、観月ありさの母親がいたな」
「この番組の放送作家のひとりが、まだ中央大学の学生だった秋元康」
「ある朝、俺がオフィスのドアを開けたら、ジャージを着たドレッドの見知らぬ黒人が煎餅布団敷いて寝てるわけ。戸惑いながら『ハロー』って挨拶したよ。後になって分かったんだけど、あれ、ソウルIIソウルのジャジー・Bだったんだ」
「ものすごく上手いピアノの音が聴こえてきた。思わず、その学生に『素晴らしいね』って声をかけちゃったんだけど、それが、後にシンガーソングライターとしてデビューする中村佳穂」

退路を断つ姿勢

近田がときおり見せる思い切りのよさも印象的だ。テレビタレントとして成功しそうになると、自分が本当にやりたい音楽の道に専念するためにタレント業をやめる。CM音楽で成功しても、ある時期からはオファー受けずに別の道を追求する。その都度、退路を断って自分の本当に進むべき方向を目指すのだが、この潔さはいったい何なのかと驚く。口で言うのはかんたんだが、実際に彼のような選択ができる人は少ないはずだ。私だったら、きっとタレントとしてそこそこの人生を歩む道を選んでいただろうと思う。私自身、ここぞという場面で判断が鈍るタイプの人間だという自覚があり、近田のフットワークの軽さをうらやましく感じてしまった。重い話題(病気やマネージャーの横領事件)もさらっとふりかえりつつ、「思い出すといちいち腹が立つけど、笑える話だよ」と軽く流すのも近田らしい。

また一読してみごとだと感じるのは、近田の語り口調を再現した文章のトーンである。「〜だったね」「〜なんだけどさ」「〜じゃん」「〜したよ」といった軽さのある文章は実にいきいきとしており、本人の声で再現可能なボイスとして響いてくる。これは構成にあたった下井草秀の力量であろう。文章として読みやすく、なおかつ声の響きを感じさせる書き起こしと構成は、本当に困難な作業だったろうと想像する。内容もさることながら、まずは文章のトーン、語りのボイスを定めたところに、本書のユニークさがあるのではないか。また、下井草があと書きで述べていたが、本書はほんらいであれば川勝正幸が行うべき仕事であった、との言葉にもその通りだと感じた。下井草は、あたかも川勝のやり残した仕事を引き継ぐような心境で、この本を完成までこぎつけたという。こうした意味で『調子悪くてあたりまえ 近田春夫自伝』には、まごうことなき川勝スピリッツが込められていると感じるのだ。

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