振り袖姿の写真 #自分にとって大切なこと
すっかり忘れていたが、お雛様の季節だ。何年ぶりかでお雛様を飾ってみた。段飾りのせいか迫力があり、部屋が急に華やかになって、飾って良かったと思った。
昔は『12日間飾ったら片づける』『あまり長く飾っておくと婚期を逃す』などと言ったそうだが、特に明確な根拠はないようだ。けれど、今の自分をみると、決して間違っているとは言えないかも知れない。
このお雛様を購入したのは祖父母だ。今回、お雛様を飾るにあたって、一緒に片づけてあった1枚の写真を見つけた。振り袖姿の私と祖母が、一緒に写ったものだ。その時、私は19才。この写真を撮影した日が、今生の別れとなった。
その日は12月後半だった。寒かったはずだが、なぜか寒かった記憶がない。成人式の写真の前撮りにと、私は朝早くから振り袖に身を包み、撮影後に母の実家に行った。
祖母は前日からご馳走を準備してくれていた。『そんなに気を遣わなくて良いのに。』と私は思っていたが、祖母はとても張り切っていた。あんなに嬉しそうにしていた祖母を見たのは初めてだったと思う。到着すると、いそいそと玄関まで出てきて、まるで自分の事のように喜んでいた。
振り袖で締め付けられていた私は、せっかくのご馳走をその場で食べられず、折り詰めにして貰った。
その後、庭で祖母と並んで写真撮影した。叔父が撮影したその写真の祖母の表情はとても柔らかく、私自身も緊張が解けていて、自然に撮れている。私が気に入っている写真の1枚だ。
その年の成人式当日は大雪だった。そのため着付けはキャンセルし、私は式典には行かなかった。
祖母は前撮りの日と同様、成人式当日もご馳走を用意してくれたらしい。母が「この大雪では、今日はそこまで行くのはとても無理だよ。」と電話したにも関わらず。何だか祖母に申し訳なかった。
祖母にとって、誰かのためにご馳走を作るというのは何よりの楽しみだったようだ。何であれ、誰かのために自分が出来ることがあると嬉しい。
やがて成人式のアルバムが出来上がり、母が早速届けたところ、祖母はとても喜んでいたそうだ。そして、成人式の写真だけでなく、さまざまなアルバムを出してきては、最後の1ヵ月、祖母は思い出に浸っていたと後から知った。
やがて迎えた2月。一年で一番寒い時期のある朝、祖母は突然入院した。病院に運ばれて数時間後、そのまま帰らぬ人となった。
最後に会った日から2ヶ月弱。あまりにあっけなくて、現実の事に思えなかった。お棺の中に、誰かが私の成人式のアルバムを入れたところ、それを見ていた人が「そんな事したら(私が)連れて行かれちゃうよ。」と言い、慌てて取り出す一幕があった。
私は写真屋さんで撮影して貰ったアルバムより、叔父が撮影してくれた写真の方が気に入っている。祖母に最後に会った日が、最高の晴れ着姿で本当に良かった。
昭和の初期。戦争があり、女性は家庭を守るのが当たり前だった時代。
そんな時代を生きた祖母が生前、いかにも昔の人らしく、折に触れて言っていた事がある。「人間、一度は結婚するもんだ。」と。
今の私を見たら、祖母は一体何て言うだろう? そして質問してみたい事がある。「二度や三度はどうなの?」と。
あの日、祖母がせっせと私のために料理してくれたことと、嬉しそうな表情は、写真とともに大切な思い出だ。『他者のために』自分が役に立てる時、人は自分の存在価値を見出すものかも知れない。
それは他者のためだけでなく、きっと、自分にとって大切なこと。あの日の祖母は、言葉ではなく行動でそれを教えてくれた。
飾り終えたお雛様を眺めながら、久しぶりに祖母のことを思い出した。