心残り
高齢者にアンケート調査で思い残すことはないか尋ねたところ、「もっと自分の意見を言えば良かった。」「他人の目を気にして、やりたいことをやらなかったことを後悔している。」という結果が多く見られたとの記事を読んだ。
そこで思い出したのが、以前、亡くなった祖母が語った話。
定年退職後、友人10名ほどと海外旅行に行った。
ちょうどドイツをまわった時のこと。宿泊していたホテルの近くに、名前は忘れたが有名な公園があったらしい。皆でそこへ行こうと計画していたそうだが、一緒に行った人の1人が急に「行きたくない。」と言い出した。
「ドイツなんて、二度と来ることないんだから、行ってみようよ。」と数人でなだめすかしたが、なぜかその人は頑なに行かないと言い張ったそうだ。
その人だけ置いていくのも変だし、何となく場の雰囲気も悪くなってしまい、結局全員行かなかったそうである。
「私だったら1人でも行くけどな。」と私は祖母に言った。
「そんな人に振り回されることはないよ。今頃になって孫に愚痴を言うくらいなら、何で行かなかったのよ?」と私。
祖母はどうにもはっきりしない様子だったが、この話を聞かされた私は違和感を持った。
祖母はドイツ語はおろか、英語もロクに出来なかったから、1人で行くのは心許なかったかも知れない。けれど、ホテルの場所さえしっかり把握していれば、地図を片手に何とかなったのでは…と思わなくもない。
何より、楽しみにしていた計画を、1人の人の勝手な都合で変えてしまったことに納得がいかなかった。似たような経験は自分にもあるが…。
もう一度、行くチャンスがある場所ならばともかく、簡単に行けない場所だっただけに、祖母には悔いがあったのだろう。だからこそ、私に話したのかも知れない。
今みたいに『1人時間を大切に』という考え方がなかった時代であったとしても、この話は、私の中に澱のように残ってしまった。
他人に迷惑をかけてはいけないが、他人の目を気にしたり、遠慮ばかりして、言いたいことや、やりたいことを控えてしまうのはもったいない。遠慮したからといって、他人から好感を持たれる訳ではない。
他人は自分が思うほど、自分のことを見ていない。(都合の悪い時だけ見られていることはあるが。)
人の和は大切だけれど、それに縛られて自分を抑え込むことはない。
やりたいことは1人でも積極的にやる。
祖母を含め、多くの高齢者たちの経験を、教訓としてしっかりと胸に刻み込んだ。