【詩とは何か】ランキングトップだった詩人がやめた理由
かつて僕は詩のブログを書いていました。そのブログは17万以上のアクセスがあり、当時の詩のランキングサイトでも連続で1位を維持していました。
この頃の僕は、ランキングにこだわり、それを上げるためだけに毎日詩を書いてたのです。
どういう詩を書けばみんなに好評価を得られるか。どんな言葉を使えばみんなが喜ぶのか。
僕は誰もが好みそうなきれいな言葉、誰もが瞬時に認識できる正義を感じる言葉を選び、言い方や表現を少し変えて、毎日更新しました。
評価は瞬く間に伸びてあっという間に1位になりました。
しかし、そんな作詩活動を続けて数週間経つと、なぜだか毎日がとてつもなく窮屈でそしてなによりもすごくつまらないことに気づきました。
なぜだろう・・僕は
ずっと1位なのに、好評価も得ているのに、胸が空っぽになり、しまいには自分で何をやっているのかさえ分からなくなったのです。
ブログを始めた頃、詩を書きはじめた頃。あんなにも楽しかった毎日が、自分の欲により失われたことに気づきました。
僕はその日を境にランキングサイトの登録をやめて、本来の作詩活動に戻ろうとしました。
しかしそう感じた時はすでに手遅れで、僕のブログには他人に好かれようとして書いた嘘が、山積みになり、読むに耐えないものになっていました。
そうして僕はそのブログの更新をやめて、アクセスもしなくなったのです。
僕は考えました。なぜ書き始めた頃は楽しかったのだろうか。なぜ詩と出会った頃はあんなにも毎日感動したのか。
それは自分の心に浮かんだものを、文字に置き換えて表現する楽しさ。心の中のもやもやを形にすることで、自分自身が気づきを得る爽快さ。つまり、全ては心に浮かんだものこそが重要なのだと気づいたのです。
誰かに好かれようと無理矢理書き始めたものは、心から生まれたものではなく、ただのポーズです。空っぽの心に無理矢理言葉を探して、表面に浮かんでいるものをザルですくい上げ、そこにへばりついていたゴミをきれいにならべたに過ぎません。
そんなもの、本気で詩を書いている人間からみれば、すぐに解ってしまいますし、その不快さ故に読み終えることすらできないと思います。僕は自分自身を恥じました。できることならば僕の生み出した嘘をなかったことにしたい。
それ以降、僕は自分が経験したことや、それによる感情によって産み出される言葉のみを紡いで生きてきました。その甲斐もあって今の作詩活動はすごく充実している気がします。
そこで、僕は思いつきました。かつて自分が書いたものに向き合うってのはどうだろうと。過去から逃げずに、恥ずかしい駄作を読みかえして、もしかしたら今の自分ならばその中にさえ真理を探せるかもしれない、リボーンできるのではないかと。
それには全く新しい環境がふさわしい。
そうやって僕は新しいフィールドとして、noteを始めたのです。
今回noteに掲載した詩集[ピエロ渡り]は僕が以前書いた詩の中から抜粋しまとめたものですが、かつて気に入られようとして書いた文字は書き換えて新たに編集し直しています。至らなかった部分を今の僕の心に湧き出た言葉に書き換えて、本来あるするべき姿の詩にしたつもりです。
最後に、詩とは何か。
それは体験と記憶によって刺激された心が吐き出した言葉だと思います。なので必ずしも美しいはずはなく、むしろ醜くて臭いものかもしれません。しかし、その汚物の中にこそ、僕らが生きていく為に必要なチカラが存在するのだと、僕はそう思うのです。
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