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めまいと31音のおまもり
めまいがひどいとわたしは長い文章を読むことが難しくなる。
ベッドから動けないならせめて大好きな本を読みたいと思っても、ぎっしり詰まった文字はめまいと相性が悪すぎる。
今まで別の病気になった時は、本の世界に飛び込んで、痛みや体のつらさから逃げていたけれど、その手が使えないとなると、わたしはベッドの上で音楽を聴いて天井を見つめるばかりだった。
そんな時、短歌に出会った。
木下龍也さんの「あなたのための短歌集」を勧められて読んだ。
めまいが少し落ち着いたとき、小説は読めなくても1ページに少ししか文字がない歌集なら具合がそこまで悪くなることがなく読めた。
好きな短歌がたくさん見つかって、何より思い出すたび、おまもりになるような短歌もたくさん見つかった。
絶望もしばらく抱いてやればふと
弱みを見せるそのときに刺せ
頓服を飲んでも天井が回り続け、吐き続ける夜にこの短歌はわたしを繋ぎ止める浮き輪になった。
短歌の虜になったわたしは、調子がいい日は本屋に行って歌集を集め、ベッドから動けないけど本を読める日はその歌集を読み、文字を追うことすらできない日は頭の中にある短歌を何度もなぞるようになった。
寝れない夜に思い出すのは岡野さんの短歌。
たやすみ、は自分のためのおやすみで
「たやすく眠れますように」の意
自分のための「たやすみ」だけど、そこには誰かの祈りがあるような気がした。何度も何度も「たやすみ」と呟いた。
「すべてのものは優しさをもつ」はクスッと笑えるものから、わたしの毎日をのぞいているのかなと思えるものまであってしばらくはどこに行くにも持ち歩いていた。
生きたいと思えるようになるまでは
生きると決めて膨らます肺
ただ生きているだけの1日に嫌気がさした日にはこの短歌を思い出して、息をするのが少しだけ楽になった。
そうやって、いろいろな人の短歌をよんでいくうち、自分でも短歌をつくるようになった。
闇のような苦しい気持ちをそのまま誰かに話すことはできなくても、短歌は闇を闇のまま受け入れてくれた。
誰かのぬくもりや、楽しかったことを込めた短歌を思い出せば、耐えなくちゃいけない夜を越えるのが少しだけ楽になった。
短歌のおかげで出会えた言葉があって、出会えた人がいた。
病気になってよかったなんて思わないけれど、短歌を通して出会ったすべては病気になったから得られたことだ。
たった31音にわたしたちは、自分の苦しみも、闇も、誰かのぬくもりも、煌めいていた景色も閉じ込めることができる。
そしてそれを何度も思い出して、杖にして、生きていくことができる。
だからこれからも短歌をおまもりにして、めまいとこの体と付き合っていこうと思う。