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初志貫徹するな。光秀の定理(垣根涼介著)を読んで

現代の組織マネージメント論等から、新しい織田信長像を描き出した、「信長の原理」。本作「光秀の定理」は信長の原理以前に書かれたものである。順番は前後したが、読了したのでアウトプットをしたい。信長の原理は「働きアリの法則(パレートの法則)」を素地としていたが、本作は、「モンティ・ホール問題(ベイズの条件付き確率論)」を物語の核に据えている。気になる方は是非、本作を読んでもらいたい。

・鍛錬や練習をする意味(P23)

(若き兵法者新九郎。得体のしれぬ、怪僧愚息の技量や正体を見抜こうとしたときに思い出す。)

 そもそも新九郎が学んだ流派では、激しい修練を積んだ上で、この見切りの目を養うことが第一の要諦とされた。いざ見切った上で相手の実力が己より勝ると思えば、その場から逃げ出してもいい、とさえ教えられた。師匠はこう言って笑った。言いたいやつには、言わせておけばよい、と。「臆病者と嘲られようが卑怯者と罵られようが、わざわざ殺されに挑みかかるよりはるかにましではないか。死んだら、それまでだ。それ以上の腕になることも叶わぬ」そういった意味では、個の美意識を徹底して排除した合理的な流派ということもできる。「勝負に絶対ならない。が、見切った上で勝つと思えた相手なら、まず九分で勝ちを収めることができよう」その見切りの目を養うために我らの修練はあるのだ、と師匠は語った。

・自由とは(P159)

「自由とは常態として、常にある程度の流動性を持つ緩い枠内でしか、息をできないものだ。そして内的には、明確な生きる方向性のある者にしか存在しない。(中略)生きる方向性を持たない者には、自由など、いたずらにその存在の無意味さを煽られるだけで、何の価値もない。持て余した挙句しまいには逃げ出す 」

・仏道とは個の求道にしか存在しない(P163)

(賭け事で日銭を稼ぐ僧侶愚息。施しや教えで対価を得ないのかと聞く新九郎。愚息は人の好意や、自らの信条を金や勢力には変えたくないという。その理由を語る。)

「仏道とは本来、個の中での求道にしか存在しないものだからだ。(中略)ならば、双方が欲得ずく、納得ずくで金を儲けたほうが、まだましだ。釈尊も多少は笑って許してくれよ」

・得意なものでしか道は極められない(P178)

(新九郎。兵法者として名を上げるために、闘わないのかと問われ、語る)

「最近になり、ようやく血の巡りの悪いわしにも、少しずつわかりかけてきたのでござる。人とは所詮、自分の得手とすることを通じてしか、賢くなれぬ。また、喜びもない。この場合、わしにとっては兵法でありまするな(中略)その道を、理を極めるため、あるいはわが身や門人を守るためならともかく、単なる優劣を競うための殺し合いには、もう使いたくないのでござる」

・信念や生まれに固執しすぎるな(P224)

(光秀。足利義輝暗殺事件の際、涙を流した自分に対して思う)

情念がなくては行動に移れない。行動がなければ、この時代における男の一生など、何の価値もない。しかし信念があり過ぎる者、生い立ちからくる倫理観や観念に囚われすぎている者には、真の賢さは訪れない。この世を思うように渡って行くことができない

・最高の部下とは(P286)

(光秀。家臣団増強に対して、良い家臣について語る)

人間が持って生まれた本来の能力に、その素地に、たいした違いなどはない。それを、本人たちがある目的意識に向かってひたすら磨き、鍛錬していくからこそ、能力が初めて他を圧倒する才能を生み落とすのである。(中略)対するに、侍としての能力の第一は、決して主を見捨てず、実直で、懈怠なく働くことであろう。わが身に替えてでも主人の命を守ろうとする配下を数多く抱えていることほど、武将として心強いものはない。どんな戦況になろうとも、寝返りや逃亡を心配することなく、心安んじて闘うことができる。

・一向宗の教団化について(P402)

そもそも一向宗(浄土真宗)の遥かなる開祖である親鸞自身が、その死に際し「親鸞は弟子一人も持たず候」と言い残し、自らの教えの組織化を明確に否定しているのだ 。そのように清貧を全うした開祖の意に反して教団を組織し、教団利益のために変質を繰り返し、念仏を唱えさせることによって土民百姓を戦場に赴かせた後世の一向宗を、信長が許せるはずもない。

・仕事ができる能力と仕事をこなし続ける才能は別(P417)

(愚息と新九郎。光秀がなぜ本能寺の変をおこしたのか、考える)

 信長の後押しもあって、晩年には畿内でも最大勢力の大名になり上がった。光秀自身、その境遇を喜んではいたが、しかし決して楽しんではいなかったように見える。新九郎は思う。仕事ができる能力と、それを絶え間なく受け入れることのできる度量は、また別の問題なのだ。

・上下の人間関係には、二通りの在り方が存在する(P431)

 信長は、自分の家臣たちを、身分の差以前の問題として、単なる使用人あるいは雇用人としてしか見ていなかったのではないか。光秀のことも単に使用人として路傍から拾ったに過ぎない。その道具が思いのほか優秀だったので、雇用人としての権限を大きく持たせてやったに過ぎない。そして信長にすれば、使用人に恩を返される謂れはない。それこそ笑止の沙汰であろう。いや、返してくれるのは嬉しいが、しかし、それは自ずからの功して誇られては小面憎くなる。信長の人間性云々の問題ではない。事実、信長は使用人に対する主人として、限りない愛情を光秀は秀吉に注いだ。権限を与え、莫大な封土を貸与し、位階を与え、時には自らの命を懸けて、その雇用人の窮状を救った。だが、いくら功績があったとしても、その使用人に過ぎぬ者に、封土を永久に与える主人はいまい。(中略)盟主における郎党と、絶対主君における家臣という、人間関係の捉え方の違いなのだ。そこにすべての齟齬がある。そう考えれば、信長と光秀が折に触れて起こした全ての諍いの原因に、おおかたの見当が付く。 

・ちょこっと解説

・本書にも、「一旦決めた物事に対し、その後に意見の相違が生じた場合、最初の案で行く方が結局のところ、衆議はまとまりやすい。もし変えて外れた場合にはお互いに気まずい。初志貫徹が考え方や生き方の基本だ」とある。たいていの人は、二者択一で迷ったら、最初に決めたものを選びたくなるだろう。

・しかし、モンティ・ホール問題を当てはめてみると、上記の例の場合、物事がよりうまくいく可能性が高くなるのは、初志貫徹をしなかった方。つまり、最初の案から反れたものということになる。

・人間の生き方にしてもそうである。こういう仕事をしたい。こういう勉強をしたいと思ったとして、その後の人生の中で、他のやりたいという選択肢が出てきた場合。案外初志を捨てたほうが、うまくいく確率が上がる。(生き方として美しいか美しくないかは別の議論である)

・考えてみると、まさに坂本龍馬などは、モンティ・ホール問題が投げかける真理に即した生き方をしていたように思う。勤王だ佐幕だと騒ぎ立て、その考えに固執し、時流に翻弄された若者のなんと多いことか。

・モンティ・ホール問題なんかは単なる教養ぐらいにしか、考えていなかったが、実際人生の選択において、非常にためになるものだということを実感した。他の学問についてもそうなのだろう。学び直し、アウトプットは本当に重要である。

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亀山こうき/俳句の水先案内人
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