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【日本とカンボジア】カンポット州タニで建設された幻の日本軍飛行場
カンポット州に地元民が「日本平原」と呼ぶ場所があります。第二次大戦時に日本軍が飛行場を作った跡地だと言われていますが、何も痕跡は残っておらず畑があるだけでした。古老によると飛行場で使用されていた砂利等の資材は、長年にわたって近隣住民が再利用していたそうです。
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衛星写真で調べてみると、滑走路の痕跡が確認できます。戦史ではコンポントラーチに飛行場があったようですが、ここは40kmも離れています。果たして同一の飛行場なのでしょうか。謎を解き明かしてみようと思います。
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私が見つけた飛行場跡について調べてみたところ、日本軍が建設したタニの飛行場の痕跡でした。
昭和16年、開戦直前の日本の第3航空集団は、12月8日開戦直後の払暁の航空撃滅戦、そして第15軍のタイ王国進入などの諸任務を考慮し、展開を定めていました。船団及び泊地を援護する戦闘隊はなるべく前方に推進させ、またタニ飛行場にも飛行部隊が展開できるよう準備していました。
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防衛庁戦史室編纂の戦史等によると、既存のプノンペンやコンポントラーチュの飛行場と異なり、突貫工事で完成したばかりのタニは、4日夜のスコールで浸水したため機能不全に陥りました。
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展開予定の第90戦隊はコンポントラーチュに、第60戦隊の重爆はプノンペンに目的地が急遽変更されています。プノンペンには80機以上が詰め込まれることになり、狭隘不備な南部仏印の基地に密集している多数の精鋭機にとっては、連合軍機の先制空襲が懸念される事態となりました。この危惧は6日の英軍機のマレー侵攻船団触接以後、最高調に達したそうです。
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開戦後は戦線が移動したため、折角タニ第1、タニ第2と2つも作ったこの飛行場は殆ど使われる事はありませんでした。私が見つけたのは、戦争には役に立たなかった幻の飛行場だったようです。地元の古老によると、戦後は、地元民が滑走路や建物を壊し、それを家の建築資材として利用したそうです。ナウシカの古代文明セラミック鉱山みたいですね。
古老からはもう一つ、日本軍に関わった人間が呪いにかかったとの伝承も聞きました。折角ですので、それについても調べてみたいと思います。
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