想起について

 かき分けてもかき分けても手に入れられない。
 形而上学は僕が望んでいることを本当の意味でもたらさない。芸術も僕が望んでいることを本当の意味でもたらさない。詩も僕が望んでいることを本当の意味でもたらさない。僕が何を学んだところで、何を感じたところで本当に望むものは返ってこない。あの温かさは手のひらにささやかなな感覚を残して去っていく。もはやそのささやかな記憶は消えていこうとするばかりである。
 記憶の中にある微かな柔らかさが手の頭の間を行っては来たりして、経験の糸は擦り切れていく。思い出したい一方で、想起は記憶を歪めていくので、思い出さないようにする。そうするとまた、その糸は他の感覚の糸と絡まって思い出せなくなる。
 他者が入れ替わり立ち替わり霧散してはまた現れる。
 私があなたに与えられた感覚が擦り切れていく時間が、過去を形作っているた、そう思う。未来は過去の反射で、また出会えるという期待からなる。だが死はそれら全ての期待を消失させる。ただ僕は残された影を見つめているだけだ。影はその他者の存在を知らせるが、実体ではない。記憶の一筋の光は影を映すには十分明るさを持つが、だんだんとその効力を失うということである。
 

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