ピカソとその時代 ベルリン国立ベルクグリューン美術館展@国立西洋美術館
皆さんは、令和5年最初の美術展にはどこに行かれましたか? 僕は西洋美術館で開かれていた「ピカソとその時代 ベルリン国立ベルクグリューン美術館展」でした。
これまでの僕は、ピカソの作品をしっかりと鑑賞する機会が少なく、むしろ敬遠していたといっても良いでしょう。なぜならピカソは、極めて多作で、作風が目まぐるしく変わる上、作風の変化ごとにエピソードがあって、しかも神話化され過ぎていると感じていたためでした。
メンタルクリニックでの診察を終えた後、ぽっかりと時間が空いてしまったことが鑑賞のきっかけでした。クリニックから、すぐに行けそうだったのが本展覧会だったのです。日本未公開の作品をたくさん見られるといううたい文句に心ひかれるものがありましたが、あまり先入観を持たずに会場を訪れました。
フライヤーによるとベルクグリューン美術館は、ドイツの美術商、ハインツ・ゲルクグリューンが基盤をつくり、ピカソ、クレー、マティス、ジャコメッティの4人の芸術家を中心としたコレクションが特徴の美術館です。本展覧会は、この美術館のコレクション97点を中心に、日本国内の国立美術館が収蔵する作品を含めた108点を集めたと説明されていました。また、このうちの76点が日本初公開なのだそうです。
会場の構成は以下の通りでした。
序.ベルクグリューンと芸術家たち
1.セザンヌ―近代芸術家たちの師
2.ピカソとブラック―新しい造形言語の創造
3.両大戦間のピカソ―古典主義とその破壊
4.両大戦間のピカソダッシュ女性のイメージ
5.クレーの宇宙
6.マティス―安息と活力
7.空間の中の人物像
気になった作品を3つ挙げると、セザンヌ《セザンヌ夫人の肖像》とピカソ《緑色のマニキュアをつけたドラ・マール》、クレー《雄山羊》になります。
作品解説によると《セザンヌ夫人の肖像》は、結婚直後の妻、オルタンスを描いたものだそうです。結婚直後に描かれた作品の一つにシャガールの《結婚式》があります。寄り添う新郎新婦を明るく多彩な色彩で描いてあり、天にも上る気持ちにさせられます。しかし、《セザンヌ夫人の肖像》は、緑青色の壁の前で、やや首を傾けた新婦を描いたものです。無表情ですが、やや物悲しげに感じます。黒色の衣服は、首から胸元にかけての装飾を丁寧に描いていますが、下部に向かうほど薄くなり、塗り残しもあって未完成のように感じます。とても新婚ほやほやのハッピーな雰囲気を感じることはできませんでした。セザンヌはどのような気持ちで、妻になったばかりのモデルに向き合ったのでしょうか。
《緑色のマニキュアをつけたドラ・マール》は、ポスターやフライヤーの表紙にも採用されている作品です。黒いドレスをまとった女性の上半身を描いた作品ですが、おでこは不自然なほどに前方に張り出し、鼻の孔は大きく、また、指は円すい形に抽象化されています。また、目頭から小鼻にかけてマニキュアの緑色が写り込んでいます。ぱっちりと見開いた大きな目の視線の先には何があるのでしょうか。「私には、彼女がこのようにみえたのだけれど、君はどうかな?」と、ピカソに問いかけられている気持ちになりました。
クレーの《雄山羊》は、油彩転写素描という技術を用いた作品です。この技術のことを初めて知りました。黒い線と橙色の背景だけですが、油彩転写素描の影響で線はにじみ、頬から首にかけて黒い絵の具が不規則に転写されています。モチーフは大きく描かれた雄山羊の横顔と、その鼻の上で足を組んで座っている女性です。女性を見つめる雄山羊の目はトロンとしていて、口元からよだれが垂れる半開きの口が、なんともだらしなくみえます。雄山羊の目の周りと女性の髪、キャンバスの周縁部は周囲よりも橙色が濃くなっています。ユーモラスさが前面に出ていますが、購入した絵葉書を見返すごとに新しい発見があって見飽きない作品です。
鑑賞後には、ピカソはどうして矢継ぎ早に作風を変化させ続けたのか。その原動力となったのは何だったのか。年齢を重ねるごとに子どもじみたような作風になったのは何故なのか――。たくさんの疑問が残りました。
ピカソについてもっと知りたいと思った僕は、翌週、ポーラ美術館を訪ねることになったのです。
(観賞日:令和5年1月7日)
「ピカソとその時代 ベルリン国立ベルクグリューン美術館展」
会期:2022年10月8日(土)~2023年1月22日(日)
会場:国立西洋美物館
主催:国立西洋美術館、ベルリン国立ベルクグリューン美術館、東京新聞、TBS、共同通信社