見出し画像

情報社会を生き延びる

SNSが嫌いだ。
携帯電話も、嫌いだ。

私は通信業界で働いている。
多かれ少なかれ、責任をもって通信に携わっている。
でも、携帯なんて使えない方が幸せだと個人的には思う。

私は、携帯を使うには、弱すぎると思うから。

SNS上にはびこる情報はどれもこれも煩わしい。
ああすべきこうすべき、とにかくうっとうしい。

30代までに結婚できないやつは性格に問題がある
他人に尽くすやつは都合よく扱われる
強気で生きろ、自分を雑に扱うやつは捨てろ
恋愛で不安になるな、自己肯定感を高めろ

などなど。
恋愛系のSNSに流れてくる文言はこんな感じ。

ある意味では間違っていないと思う。
先人の言葉を参考にするのもいいと思う。

でも、
誰を好きになるかは自分で決めていいし、
情報に振り回されて、大切にしてくれている人を蔑ろにしたくないし、
一度でも雑に扱ったら捨てられる人といい関係を築けるのかな、って思う。

男性はわがままな女性がすきなのかもしれないけど
おとなしくて従順でも、その優しさに気づける人っていい人なんじゃない?
本当にすきだったら、不安になって当然じゃない?
不安にならない女は扱いやすいし、楽かもしれないけど、
ずっと自分の優先度が低い女と一緒にいたい?

って、結局私はしっくりこない。笑
で、まあいまだにオールドミスってやつなんですが。笑

極端な例はおいておいて、
自分の幸せは自分にしかわからないし、
"痛みを伴わない教訓には意義がない" ってハガレンでも言ってる。
SNSで聞いたことを鵜呑みにするより、
ちゃんと自分で失敗して、学んで、次に進んだ方が
私には合ってる、というか「必要」なんだなって思う。

裏切られる可能性があるから人を信じない、よりも
自分が信じたい人を、傷ついたとしてもちゃんと信じたい。

「裏切られてもいいんだ。裏切った相手が卑怯になるだけで、わたしの何が傷つくわけでもない。裏切って卑怯者になるよりずっといい」
(中略)
陽子自身が人を信じることと、人が陽子を裏切ることは何の関係もないはずだ。陽子自身が優しいことと他者が陽子に優しいことは、何の関係もないはずなのに。

『月の影 影の海 (下) 十二国記』 P84 平成二十四年 七月一日発行 新潮文庫 小野不由美 著

たぶん、これに尽きる。
ずっと、「自分がどうしたいか」を考えたほうがいい。
わからなくてどうしようもなくて、
SNSを見たところで、「私はこれでうまくいった」っていう
ただの1ケースが載っているだけで。
しかもそのうち何割かは、自慢をしたり、他者からの承認を求めるもので。

本来はきっと、
その人が目の前にいる人間だったらきっと、
「ああ、嫌だな」って感じるものが多いんじゃないかな。

SNSは情報を取捨選択しきれないし、
加工や見せ方でどんどんと他人を巻き込める。

その中でどれをとるか、
それは自分の選択にかかっているし
「どれも取らない」もきっと立派な選択。

忘れてはいけないのは、
「自分の幸せは自分にしかわからない」ってこと。
自分の気持ちをちゃんと見て
うれしいのか、
かなしいのか、
我慢してるのか、
疲れているのか。
きっとたぶん、それに従うしかない。
たとえ同じ選択をして、
同じ振る舞いをしたとしても。

私はSNSで見かける"その人"にはなれないんだから。

「おいらは陽子に信じてもらいたかった。だから信じてもらえりゃ嬉しいし、信じてもらえなかったら寂しい。それはおいらの問題。おいらを信じるのも信じないのも陽子の勝手だ。おいらを信じて陽子は得をするかもしれねえし、損をするかもしれねえ。けどそれは陽子の問題だな」

『月の影 影の海 (下) 十二国記』 P112-113 平成二十四年 七月一日発行 新潮文庫 小野不由美 著

きっと生きる上でなにを使って
何を得て 何を信じても、結局は自分に返ってくる。
SNSを恨んだって仕方ないし、その投稿をブロックした所で意味はない。

私は、
SNSで説かれる言葉よりも、
自分の感情と、目の前の相手を信じたい。
傷つくかもしれない。後ろ指をさされるかもしれない。
でも、SNSの言葉を信じて
自分を蔑ろにすると、
またきっと生きている意味がわからなくなる。
後悔しかきっと残らない。

前を向いて。
自分の中に道しるべがあると信じて。

傷ついてもいいから、
自分の信じた道を進みたい。

きっとそれが、情報が氾濫するこの時代、
自分を見失わずに、大切にできる方法だと
私は思うから。

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集