図書館で見付けた本より
俳句を味わう
俳句百年の問い 夏石番矢編(講談社学術文庫)より
【生命の「お化け」の見える虚】 森 澄雄 p.287
中世以降、日本人が長いスパンで追い求めてきたのは、「いのちの無常」。人間の実在の重さは、実世界を相対化した、より虚に踏み込んだ句作の場に顕現する。俳句は生命の本体が登場する舞台。
花眼遊想ー『花』と『あそび』ー
四季はなほ定まれるついであり。死期はついでを待たず。死は前よりしも来らず、かねて後(うしろ)に迫れり。人皆死のある事を知りて、まつこと、しかも急ならずに、覚えずして来る。沖の干潟遙かなれども、磯より潮の満つるがごとしー『徒然草』百五十五段
(干潟(ひかた)とは、潮の満ち引きによって毎日干出と水没を繰り返す平らな砂泥地で、海と陸の中間に位置しています。河川や沿岸流によって運ばれた土砂が堆積して形成され、波浪の影響を受けにくい穏やかな入り江や湾内に多く発達します。)
p.293~
荒木良雄の『宗祇』の中で読んだ宗祇の言葉を一つあげておこう。
凡そ歌人と云ふは、たゞ情欲をはなれ、心を空虚にもちて、いささかも執をとどめざらんこと也。されば歌人たらん人は、花に対して花を見、月に望みては月をあはれみ、当一念一念の風景をあはれみて、二念をとどめざるべきなり。ただ、歌人は、はかなきをもととすべきにこそ。しからば欲情おのづからはなるべきにこそ。
これは文亀元年、宗祇八十一歳、歿年の前の年、越後府中の旅宿で、門弟月村斎宗碩(そうせき)に伝えた最後の伝授「十口抄」の文句である。
さて、先の『宗祇発句集』(そうぎほっくしゅう)の書き出しは、正直に言って、まず退屈を極めたといってよかった。試みに、その四季の発句から代表的季題をとって、その一部をあげてみよう。
冬 (雪)
初雪も秋をばけたぬ紅葉或 或(ある)
色ふかみ雪さへをさぬ紅葉或
うす雪の梢も秋の千しお或
ながめつつことしも雪の梢或
初雪の庭は心のちりもなし
AI による概要
詳細
「千入(ちしお)」には、次のような意味があります。何度も染め液に浸して色を染めること、色濃く染めること、濃く染まった色や物、 そのさま。
「しお」は染色などの時に液に浸す回数を表す接尾語です。
心の塵とは何ですか?
こころ【心】 の 塵(ちり)
① 悩みのために千々にくだけた気持を比喩的に表現した語。
② 心についた汚れ。
『宗祇発句集』は、自然斎宗祇の句集です。自然斎宗祇は、連歌を「遊び」から「芸術」へと高め、中世文芸の典型としての連歌を確立した人物です。
自然斎宗祇(そうぎ)は、室町時代後期の連歌師で、古典文学者としても知られています。
御覧頂いて、誠に有り難うございました。
~(⌒∇⌒)🎶m(__)m~