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体調不良だった一週間の思考回路

前回の投稿から体調が悪化し、今日まで心身共にしんどい一週間が続いた。

この一週間、
様々な考えや気持ちが湧き出てきた。
ところが、
最後まで強く消えなかった思いはただ一つ。

「健康が一番」

とてつもなく当たり前で、健康であるときには意識しないこと。それが、少しの体調不良で強く感じられる。

熱はなく昼間は咳止めシロップで何とかやり過ごし、夜になると悪化する状況が過酷すぎた。
微妙に休みにくいこの状況で

この結論に至るまでの軌跡を書こうと思う。

ちなみに、ワタクシは喉風邪をひいたのです。
発熱のないタイプで、子どもからいただいたものです。(検査もしましたがアレではありませんでした。)

♢初期

自分への過信

子どもが風邪をひき始めると、保護者は臨戦態勢に入る。

自らにこの災いが降りかからないように、市販の風邪薬を買い足し体温をこまめに測る。

これまでもったいなくて数を減らして飲んでいたサプリも目安の量いっぱいに飲み込む。

まさに「負けられない戦いがここにはあるんです!」状態。

仕事をして、家事をして、風邪のお子達の要求を聞いているうちに、自分のことを少し隅に置いて頑張ってしまう。

消化に良いものを食べさせてあげたい。
子どもたちはお風呂に入れないから、浴槽にお湯をいれるのはもったいないのでシャワーでいいか。

とにかく、子どもたちを早く布団に入れて体を休ませないと。

母になると、病に対して自分は大丈夫という思いが強くなったように思う。

きっと、風邪なんかになっていては、家が機能しないからなってはいけないし、ならない!と思い込んでいる。

思い込みは、気持ちを強く持つ分にいいが、
すでに疲れがたまってHPが減っている時には無理を強いる。

今回は、後者のようで
ここから体調は悪化する。(;´Д`)

正しいタイミングがわからない

平日に病院にかかるタイミングが難しい。
皆さんはどうですか?
独身の時は、仕事のめどがついたら午後からというように行動していたが、子どもを幼稚園に迎えに行って預ける先がない時や連れまわせない時は、週末まで持ち越してしまう。

市販の風邪薬で何とかごまかそうとするが、なかなか回復が見込めない。

そして、インフルエンザの流行もあって、咳止め薬が不足気味らしい。

嫌な予感しかない。

しかし、母は倒れるわけにはいかない。ちょうど子どもも鼻水が止まらないので、かかりつけの病院に行くことにした。

予感が的中。

咳止めが不足しているので、この症状だと漢方で対応することになった。

体感的には、漢方は二日前のワタクシにはいいけど、今じゃない。

案の定、漢方は何の効果もない。

この間、仕事で喉を酷使しているのもよくないことは十分理解している。

♢中期

いら立ち

そろそろ、喉の痛みだけでなく、痰がでる不快感と頭痛、咳のし過ぎによる吐き気(何回かリバース)、体力の消耗。

何をしても、疲れる状態にいら立ってくる。
唯一の救いは、連れ合いが早めに帰宅をして家事をしてくれること。

子どもたちの症状も回復しつつある。
週末まであと半分。
寝たら治るタイプ」と自分に言い聞かせている途中で力尽きる。

夜中に咳で目が覚めるたびに、
「なんで…」「毎日がんばっているのに…」
なんて悲しくなる。
また、タイミングよく悪夢を見る
ワタクシの潜在意識にそんなもんあるの!?と問いかけたくなるほどの悪夢を見る。
咳と悪夢に惑わされて、心が弱くなる。

だけど、これぐらいでと自分で自分の背中を撫でつつ、バシッと喝を入れる。

そう、ワタクシは「寝たら治るタイプのはず」だから。

なにより、この二週間まともにnoteに参加できていないことがつらい。

好きな本を読めていないことがつらい。

子どもに優しい声掛けが出来ていないことがつらい。

好きなお菓子やデザートを愉しめないのがつらい。

途中になっている刺繡も進まないのが・・・。

自分ができないことばかりに目が行き
自分がしてもらえていることへの感謝に気が付けない。

それもまた、悲しいことなのです。


咳止めシロップに救われる

職場に行くと、体調は回復することはないが気力で何とか越している。
けれど、やはり痰のからんだ咳が出るので周りは心配(迷惑半分かな)になってくる。

これまで、錠剤や粉薬しか飲んだことがないので、同僚から「咳止めシロップは効くよ」と教えてもらって目からうろこだった。

早速、咳止めシロップを服用してみると驚くほど息がしやすい、喋りやすい。

夜も、これまでより寝られるようになった。喉のつまりも諸々出してすっきりした。

咳止めシロップさん、これからは常にワタクシの家にいてください。

家に帰って一時間横になるとその後、子どもたちの寝かしつけまでの4時間が動けるようになった。連れ合いが連日、頑張ってくれているのも助かった。


♢後期

懺悔(ざんげ)

特に中期には、すべての神を呪って過ごした。
インフルエンザでも、コロナでも、
ましてや難病や長い長い闘病生活を強いられるような病気でもないのに。
こんなにも、健康でなくなると心が弱くなるのかと毎回(そう、毎回です)自分に驚く。

宗教にモノ申すつもりもないが、神は救いでも何でもないんだなと思う。
本当に在るのならそれは、ただただ全てにおいて超越した関わり合いのないものなんだとぼんやり考えてみた。そうでなきゃ、世界情勢の不条理を何とかしてと言いたくなる。あと100個ぐらい地球をつくって、争いなくしてよ、とか。ワタクシの風邪ぐらい寝たら治してくれよ、とか。

でも、すこし体調が回復してきたところなので、咳止めシロップを飲みこみながら、「神様、罵ってごめん」と思ってみる。言ってはみない。


健康に感謝する

大切なものは失ってから分かる
なんて大それたことだが、まさにその通り。

けれど、一時失ったとして再び回復できる状態であることに感謝しなくてはならない

自分がアラフォーであることも念頭に、健康的な生活を心がけよう。

「健康第一」とともに「体が資本」という言葉がセットで出てきたワタクシは根っからの労働者。
明日からまた、「負けられない戦いがここにはあるんです!」状態で頑張ります。


♢まとめ

すこし鼻声ではあるが、この土日たっぷり休ませてもらった。
薬と若さで回復しているお子達
家族のピンチを救うために
日々奮闘してくれた連れ合い
本当にありがとう。

そして、連れ合いよ。
どうも次は君の番らしい。
早く回復することを切に願う。






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