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【名盤伝説】 “PARACHUTE / 6 kinds 6 sizes” 百戦錬磨のスタジオ・ミュージシャンが奏でる日本のAIRPLAYサウンド。
お気に入りのミュージシャンとその作品について紹介しています。日本のフュージョンバンドPARCHUTEの2nd『6 kinds 6 sizes』(1980)です。
PRISM(1975年結成)、CASIOPEA(1977年結成)、T-SQUARE(1978年結成。当時はTHE SQUARE)など、国内のフュージョンバンドが次々とデビューしてシーンが盛り上がる中で、それに続けとばかりに満を持してPARASUTEが1stアルバム『PARACHUTE from ASIAN PORT』(1980年5月)がリリースされます。そして同年12月にリリースされた2ndアルバムがこの『6 kinds…』です。
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「最近よくこいつとスタジオで一緒になるんだよね」とメンバーの松原正樹(G)が同じくメンバーとなる今剛(G)のことを話していたそうです。松原さんは10代の頃から米軍キャンブでの演奏やスタジオワークをこなし、1978年にはソロアルバム『流宇夢サウンド』を制作。一方の今さんも、1975年に地元北海道から上京して76年18歳の頃からスタジオワークに関わっていました。
バンド結成の経緯について詳細は知りませんが、ソロアルバムでデビューした松原さんが、レコード会社の薦めもあり、既にバリバリのセッションマンだった林立夫(Drs)、斉藤ノブ(Perc)、マイク・ダン(Bs)、安藤芳彦(Key)、小林泉美(Key)らに呼びかけてバンドを結成したのかなと思います。小林はその後すぐにバンドを脱退して、代わりに同じくスタジオワークで活躍していた井上鑑(Key)が参加します。
松原さんは70年後半から80年代にかけて様々なレコーディングに参加し、その数は1万曲を超えているとされています。一方の今さんもバンド結成後も精力的にスタジオワークをこなして、現在に至るまで井上陽水、福山雅治、宇多田ヒカル、角松敏生、矢沢永吉などのトップミュージシャンとの共演を続けています。
こんな強者ミュージシャンによるバンドが目指したサウンドは、別記事でも紹介しているAIRPLAYサウンド。特にギターのダブル、トリプルに重ね合わせた粘りっこいフレーズを松原さん・今さんのツインギターで忠実に再現したフレーズは、AIRPLAYフリークだった洋楽ファンからも大注目されました。もともと松原さんのソロフレーズはジェイ・グレイドンそっくりだと評判になってところに、今さんの乾いたキレの良いカッティングが重なるサウンドメイクにギターフリークは大興奮でした。
そんなスタジオミュージシャンが結成したバンドとして、日本のTOTOと称されることも多いですが、サウンドは間違いなく日本のAIRPLAYですかね。
さて、ようやく収録曲の紹介です。なんと言ってもM1「Hercules」が目玉。仰々しいピアノから始まるイントロ。そこにギターの印象的なリフが重なり、まるでTOTOの「Hydra」を思わせるかのような雰囲気。テーマが始まるとギターがメインのロック調のフュージョン・サウンド。先行していたPRISMやCASIOPEAが聴かせるサウンドよりもロックっぽく、T-AQUAREよりもポップでない・・・今でも人気のナンバーです。
そしてM2「Open Your Freeway」は一転マイクのVo.によるポップなロックチューン。途中のギターソロの掛け合いは、いつ聴いても格好良いです。
1981年10月、私も超満員の六本木Pit-Innで彼らのライブを観ることができました。あまりの集客にステージ脇に積まれた機材箱に腰掛けて見た記憶があります。ライブは今さんのソロアルバム『Studio Cat』(1980)の「Zig-Zag」からスタート。続く2曲目がこの「Open…」とのメドレーでした。ノブの何とも言えない媚びたMCでライブは進行して、そんな煽りに突然弾ける今さん、ハニカミながらも終始言葉少ないの松原さん、どこか遠慮がちの鑑さんなどが印象に残っています。演奏曲については文句なし・・・と言いたいところですが、セッションマンの宿命でしょうか、時折フレーズが怪しくなったり、思わず皆で顔を見合わたしたりするなどのシーンが何度かありました。皆さんお忙し過ぎでリハーサルが足りないのかなと。それでも生音で聴けることの少ないメンバー構成ですから、見ているお客様は大満足なライブでした。
当時のフュージョン系のバンドは、ライブハウスだけでなくホール規模で全国ツアーができるほどの人気でした。PARACUTEも翌年リリースした3rdアルバムの『Sylvia』(1982)を提げてホールツアーを敢行し成功を収めます。しかし、多分メンバーのスケジュールが取れなくなったのでしょうか、程なく活動休止となってしまいます。メンバー全員、超売れっ子のミュージシャンばかりですからね。
そんなスタジオワークでPARACHUTEサウンド全開といえばこのアルバム、大ヒットした寺尾聰『Reflections』(1981)です。全曲編曲は鑑さんですから。
例えばTOTOと比べると、バンド活動とスタジオワークをTOTOは上手くバランスをとっていたように感じます。スタジオのセッションは当然のようにこなし、バンドとしてもアルバム制作とツアーを定期的に行っていました。どうしてもバンドを続けたいという、メンバーの執着の差ですかね(泣)。
2003年によみうりランドイーストで開催された日本のフュージョン祭り(笑)「CROSSOVER JAPAN ‘03」でPARACHUTEも歓喜の復活!。私も行きましたが、夕暮れ迫る野外ステージに6人全員が顔を揃えて奏でる「Hercules」は感動でした。
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その後は松原さんのソロライブに今さんが出演するようなカタチで、何度かバンドの曲は再現されます。そして2014〜15年にバンド結成35周年ということで覚悟の全国ツアーが組まれてDVDも発売されますが・・・2016年には松原さんが亡くなられてしまい、PARACHUTEの歴史は幕を閉じます。
松原さんの在りし日の勇姿です。有名な様々な楽曲に参加されていたことが分かります。
PARACHUTEはあの頃のフュージョン・フリークには忘れられないバンドのひとつです。松原さんは亡くなられてしまいましたが、今さんや鑑さんなどの活躍はずっと追いかけていきたいと思います。