お正月は人生の答え合わせの気分になる
お正月は人生の答え合わせのような気分になる。“それで、これから一緒に過ごす人は見つかったの?”と何かに突きつけられるような気持ちになる。
一人で過ごすのが楽しくて、また才能もあれば気にならないのだと思う。でも私は自分で自分の機嫌を取るのがすこぶる苦手で、誰かと会ったり話すのが大好きだ。だからお正月の答え合わせ感がずっと消えない。
予定があればいいってわけでもない。スケジュールがすべて埋まっているかどうかもさして問題ではない。予定がある、ではなく、ともに過ごす/暮らす人がいるかどうか。外出やイベントが終わって、ほっと一息つく時間に、それを共有する相手と家で過ごすかどうか、安心感があるかどうか。そこが大事だと感じてしまうのだ。
年末年始の予定はまぁある。新年を一緒に迎える人もいる。でもそれは、腰を落ち着けて一緒にいる感覚ではなくって、出張してもらっている気分なのだ(拙い語彙力だが誰かに伝わっておくれ)。ホーム感とでも呼ぶべき確かな感触があって、ホーム感的な時間帯に一緒に腰を据えて過ごせるかどうかが、すごく大事に感じる。お互いをホームと感じ合っている誰かがいるかどうかが。あくまで私にとっては。
去年まではお正月休みは3日間だったからよかったのに、今年から会社の方針が変わって6日ある。長さに伴って答え合わせ感がより際立ってしまう。
私の人生の目的は「好きな人と一緒に暮らすこと」なんだけど、多分そう遠くないうちに実現する。けれどたとえそうなったとしても、出張してもらっている感覚は消えないのだと思う(後ろ暗いことは何もないけどちょっとややこしい間柄なのです)。
ーー畳のある部屋で、こたつに入ってみかんを食べて、やかんでお湯を沸かしてぬくぬくだらだらする。空想上のホーム感を、実際の生活様式にフィットした形で体現できていると実感したいのだけれど、なかなか難しそうだなぁ。
寒さと長い休みは人をいつもより少しセンチメンタルな気分にさせる。
でもまぁお正月に予定がないわけでもないし、新年を迎えて初詣に行く人もいるから今あるもののありがたみを見つめよう。みたいな優等生的な回答はやめて、今年は久しぶりに孤独に身を委ねてもいいのかもしれない。
何年も吸っていなかった葉巻でも燻らせながら、ぼんやり過ごしてみようかな。MONTECRISTOでもCOHIBAでもPARTAGASでもRomeo Y Julietaでも、昔すきだった何かをぷかぷかしながら、あぁ孤独だなぁと感じるお正月があってもいいのかもしれない。
とある詩人の言った通り、孤独は前提なのだ。その前提を打ち消すような生活ばかりを送っているとひずみが生じる。今年は孤独を避けがちだったから年末年始で帳尻を合わせよう。アルコールランプとキャンドルを灯して『トニー滝谷』のサントラを流し壁にもたれて、カーテンに臭いがつくのも無視し葉巻を燻らせ、孤独の海にぷかぷか浮かぼう。
自分と二人っきりで暮らし、自分のパンツは自分で洗おう。みなに幸あれ。