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「中の上」のこの顔が、ずっと私の命綱だった。

姉が美人だったので美醜のメリットを肌感で知っていた。具体的には学校1~2の美人で、900人に1人くらいの見た目だった。父方母方両方の家系でごく稀に顔の良い人が生まれるみたいで、姉はどちらの要素も含んでいた。ちなみに私は中の上だった。

平均ちょい上くらいだったけど(幼い頃から美しい姉がメリットを甘受していると知っていたので)、自分くらいの見た目でも実はそこそこ助かっているのだろうと思っていた。そして本当にそうだった。

小さい頃から丁寧に話すのが好きで落ち着きすぎていたから、中学時代は特にそういう男子は同級生から標的にされやすい。けれど、明らかに私と性格的な違いはないのに不当な扱いを受けている人がいて、それは「見た目の差」だけだと確信していた。見た目は、わーい顔が中の上で良かったという加点式ではなくて、この見た目だからなんとか免れている、見逃されているというお守りだった。「あの〇〇さんの弟」という姉の威光もあったかもしれない。

大人しく与し易いように見える子どもは、一歩踏み間違えれば簡単に奈落に転落する。私は細いロープを、顔が中の上だという理由だけでなんとか踏み外さなかった。というより、踏み外しても「まぁぎりぎり中の上だからね。それより標的にするならあいつのほうが〜」みたいな力学が働いていたように思う。そこそこの顔一本で乗り越えてきた。

大学を卒業して就職した最初こそ、友人が「ちょっと顔が良いとかおしゃれとか社会に出たらなんの役にも立たなかった」と嘆いていて、あぁそれわかると思っていたけれど、3年目くらいからは、やっぱり恩恵があると感じはじめた。具体的には、年上の女性達からとても良くしていただいた。反対に男性上司達からはからっきしだめだった。がさつさが足りないのだ。浮気や風俗の話題にも上手く乗れず、感覚的に楽しめていないのがバレるのだろう。

だからこそ、自分の美醜が損なわれるのを極端に怖れた。とてつもなく顔が良い人が恐れるレベルと同じかそれ以上に、平均ちょい上の顔面の私はそれを怖れた。見た目でぎりぎり生き残れてきたのだから、それがなくなると丁寧で落ち着きすぎている(らしい)私は静かにすり潰される。何に?って、声が大きくがさつな何かの総意に。

30代になって、でも本当にありがたいことに、そんな事態にはならなかった。見た目はもちろん前のほうが良かった。今は中の上の下くらいで、しかもそれも、同年代と比べた場合だ。だから人生全体で見ると、単純な見た目は今が一番魅力がないし、これから40代50代になるにつれて減っていくのだろう。世界には色んな美しさがある、とかじゃなく、単なる生物の老化現象として。

小さい頃は不利だと思っていた、静かに丁寧に話すことと落ち着きすぎている性格は、今の年齢になるとむしろ美点になるようだった。時代と価値観の変化も大きいだろうが、私自身は変わっていないのに、人の見る目が変わるのは面白かったし嬉しかった。

ーー姉は美しく育ち、でも1/900の顔面才能を持っていることにある時期から苦しみはじめた。贅沢な悩みで人に言えないし、会ったこともない人から言い寄られることに恐怖していた。だから今は(持って生まれた器量の良さはどうもできないけど)あえて努力せず清潔感だけ保っているので100人に1人くらいの見た目だ。それも随分すごいけど。姉には姉の悩みがあったことを、私は数年前に初めて知った。

ーー美醜は確かに学生時代の自分を生き延びさせてくれた。上の下ではなかったから、何度か嫌な目にもあったけれど、それでも性格は同じなのに虐げられている人との違いは思い違いでもなんでもなく「見た目の差」だった。

そして大人になるにつれ、持って生まれた見た目の影響力が正しく弱まっていると感じてきた。遺伝的な顔の良さに、清潔感や性格や知性が追いつきつつある。社会的な肩書きはもう追い越しただろう。もっと年齢が上がると単なる見た目の良さは同列か、優先順位が随分下になるのだと思う。そしていつかほとんど価値がなくなってくれる、きちんと。

あと数年もすれば、かつて中の上だった私は器量的な見た目をジャッジされることはなくなるだろう。今はまだ少し自分の中に美醜思考の名残はあるが、もうほとんど消え失せていて、近いうちになくなる気がする。その日がとても楽しみだ。

まぁそこそこの見た目よ、今まで本当にありがとう。何度も救ってもらったよ。もうすぐ役目は終えるけど、ずっと一緒にやってきたしこれからもよろしくお願いします。

みなに幸あれ。

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