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カニの香水付けていますか?

あの日、3ヶ月ずっと悩んでいたことを遂に彼に告げたとき、友人はすごく悲しい顔をした。でも、その黄土色が。

2年は使っただろう透明のスマホケースが手垢であまりに艷やかな黄土色に変色しているのは、彼女がほしいと望んでいる彼にとってーーそしてこの2年うまくいっていない彼にとってーーマイナスでしかないと思ったけど、やっぱり言いにくかった。人様のスマホケースを捕まえて「すごく言いにくいんだけど、スマホケース新調したほうが良いと思う。意外に見ている相手は多いと思うから」だなんて。

でも言えた。もし彼女がほしいなら可能性は1%でも上げたほうが良い。言ってすぐ一気に全身の力が抜けた。新年早々お呼ばれしていた彼の家で、ローテーブルに差し向かいで、地べたに座っていたのに緊張でずっと姿勢を良くしていたらしい。途端にぐでんとなれた。

相手のためにはなるけれど言いにくいことは、やはり言いにくい。

彼は悲しい顔をしている。私は私で、ごめんよ、でも透明なスマホケースは透明なままのほうが絶対に好感持たれると思うよみたいな顔をしていたら彼が言いにくそうに口を開いた。

「あおくん香水好きだよね」

話の意図は見えないが、一見すると関係なさそうな香水の話からスマホケースへの感謝に着地するのかもしれない。ドラマでよくあるスタイルかもしれない。だから「うん、好きだよ」と答えた。

「そして前に『土の匂い』とか『鼻くその香り』とかぶっとんだ匂いばかりを集めているお店に行ったことがあるとも言ってたよね?」

「うん」。そろそろ着地するのだろう。

「それを踏まえて聞くね。あおくん今日ってさ、カニの香水付けてきた?」

ーー絶望した。彼は彼で言いにくいことがあっただなんて。実は一昨日の夜に私はアパートに恋仲になりたい相手を呼んでカニ鍋をしていたのだ。少しでもかっこよく思われたいからカニ鍋の最中は部屋着っぽいけどおしゃれなアウターを着ていた。

匂いはもう取れたと思っていたのにまだ残っていたのだ。なんてことはない、私も彼も、2人ともミスをしていたのだ。ごめんよ友達。言いにくいことを言わせて。

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家に帰ると、10畳ほどのリビングから確かにカニの匂いがした。十分に換気したのだけどなぁ。気を取り直し、湯船をため、リビングに併設されているクロゼット内のパジャマを取り出しまた絶望した。

パジャマからカニの匂いがする。クロゼットは締め切っていたのに中に匂いが入っていたなんて。そうしてリビングを出て廊下を渡り、おふろに入るために洗面所の扉を開け、脱衣所に置いてあるタオルを掴んでぞっとした。新品のタオルからカニの臭いがする。

狭い部屋とはいえ、扉は締め切って十分に換気もしたのにカニ臭がするなんて。

カニめ!という気持ちはなくはないけど、でも。そうだよなぁ、カニへの感謝が足りなかったよ。何も考えず「カニ美味しい。もうお腹いっぱいなのに。でも、この赤色が。」ってはしゃいでいた僕が悪かったよ。

ーータオルや衣類、枕やシーツ、そしてカーテン。すべてを洗い終え匂いが消えるまで数日はかかるだろう。それまではカニ男としての毎日を送ることになりそうだ。

私は彼の黄土色のスマホケースに気づき、彼はカニ男に気付いた。お互い一人では無理だっただろう。友達って良いな。みたいに終わらせないと、しばらく立ち直れそうにない。

カニのように右往左往する毎日が、今年も始まりそうです。みなに幸あれ。

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