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永遠にフェアになることのない男女の夜道の歩きかた

誰にも話せないことがある。正確には話してはいけないこと、つまり男女にまつわるセンシティブな話だ。言葉を選び尽くしても反感を買ってしまいそうな、けれど私は私で、きちんと傷ついた話。

序盤の内容はありきたりだ。仕事帰りに夜道を歩いていたら十字路でばったり見知らぬ女性と鉢合わせしてしまってしかも帰る方角が同じらしく彼女のほうが少し先を歩く羽目になった。もちろん怖がらせてはいけないと思い、10メートルくらい歩いた先の脇道にそれ、帰宅方向とは全く違う場所をしばらくぼんやり歩いた。その10メートル弱の間に、彼女は一度こちらを振り返った。ごめんねと思った。ここまでは普通の話だ。

「でも僕は僕で悲しかったんです」と前職でとても信頼していた女性との電話で話した。怖いのはわたしの方だから、それで傷ついたとのたまう男はけしからん、去ね! という意見がままあると知っていたので他の誰にも言うつもりはなかったんだけど、その人はどんなときでも私の味方で、前職でよくわからんイジメに遭っていたときもこっそり力になってくれていたから、思わずぽろっと言ってしまった。

「自分で言うのもなんだけど、僕はへろっとした体型だしかなり中性的って言われてたじゃないですか。それもあって少し調子に乗っていたんでしょうね。でも悲しくはあったんですよ。自分がこの世界に存在しているだけで誰かに不快感と恐怖を与えてしまうことがショックだったんです」

「いや、怖いですよ」と先輩は間髪入れずに言った。「あおくんには悪いけど、男の人が夜道を歩いていたら怖いです。ショック受けたかもしれないけど、こっちは怖いんですよ」

先輩の反応が思っていたものと違いすぎて驚いた。じゃあてめぇはどんな反応を想定していたかというと、歩いているときに怖がられたら普通に悲しいよね、という言葉で、その感情は性別や年代にかかわらず普遍的なものだと思っていた。でも違った。前職で何年も苦楽を共にし、自分が不利になっても味方でいたくれた先輩が初めて「それは違う」と言ったのだ。

自分だけの視点で考えてはいけない、この先輩が言うんだ、もう一度考えよう。と私は想像力を働かせた。そしてあることに気が付き、先輩に笑って伝えた。

「良くない例になってしまうけど、もし僕が夜道を歩いていて、後ろから身長230センチ体重100キロのゴリゴリの人たちが数人歩いて来たら怖いですね」

先輩も笑ってくれ。そういうことですと言った。たしかに相対的に男性は女性よりも背が高くがっしりしているから、これからは前よりももっと気をつけようと思った。夜道とか、人通りの少ない場所とか、特定の条件下では、こちらにそんなつもりはなくても居るだけで誰かに恐怖を与える存在だと自覚しようと思った。ここまでもとても普通の話だ。

でも悲しかったという感情は本物だったから、私はすごく仲の良い女友達と遊ぶときに2度ほど話してみた。悲しかったことではなく「最初はショックだったけど230センチ100キロの人たちが数人後ろにいたら怖いとわかった」ことを話した。彼女たちが笑ってくれたので、ひとまずこれで良しにしようと思った。ショックだったという恐怖を与える側に不釣り合いなこの気持ちはきっと認知の歪みで、それを彼女たちへの懺悔とちょっとした笑いで赦してもらおうとしたのだと思う。その考え方自体が、まず歪んでいるのだけれど。

だからドイツに住む女の子の友人から電話がかかってきたときにも同じ話をするつもりだった。出来事を話し、悲しかったことを話し、でも怖がらせているのはこちら側だと伝え、230センチの人たちから冗談っぽく言い、自分が間違っていたと締める。その一連の流れを言って赦されようと思った。

でもここからは普通の話ではなくなった。普通の話でなくなってくれた。

「ショックだったけど、でもこっちが怖がらせている方だからね」と私が言うか言わないかで、「なにそれ」と彼女は言った。

「なにそれ、変なの。全然フェアじゃないね。なにそれ。フェアじゃないよ」と彼女は言った。悲しい気持ちを「怖いのはこっちだ」で消されるのはフェアじゃないよ。

彼女は怒っていた。すごく怒っていた。こちらが少し戸惑うくらいに怒っていた。「あおくんはそんな赦されかたをする必要はないよ」と彼女は言った。

ーーなんでだかわからないけれど、やっと赦された、と思った。自分が悲しいと思った感情に対して、本来は赦しを請う必要などそもそもなかったのだけれど、私は、私のショックは取るに足らない認知の歪みと思い込むことでしか、気持ちに蹴りを付けられていなかった。

本当は、とても、悲しかった。あの日私は、残業を終え普通に家に帰っているだけだった。なんだかとても疲れたから、ヨーグルッペを飲んで気分良く過ごそうと思っていただけだった。私は悪意なくただこの世に存在しているだけだった。

わかってはいる。怖いものは怖いのだと。そしてそれが正しいとはわかっている。間髪入れずに「いや怖いですよ」と言ったあの先輩は、どこかで本当に怖い思いをしたのだろう。でも私も悲しかったのだ。きちんと。それをごまかしていたことが悲しかったのだ。ドイツからの電話で、初めて「フェアじゃないよ」と私の気持ちが大切にされ、大切にするために怒ってくれた。

矛盾しているけれど、フェアかどうかはどうでも良くなった。夜道を歩くときはより一層気をつけるし、エレベーターに乗るときも気をつけようと思った。含みもなく嫌味もなく、怖がらせる側としての生と配慮をまっとうしようと思った。まっとうしようと思えた。

ーーこれから先、悲しかったことも、230cmの人たちの話でごまかすこともしなくていいと思った。今日ここに書いておしまいにしようと思った。誰にも悪意がなくても世界は危険に満ちていて、優しさもときどきあって、それはきっと誰かを救ってくれる。

後日、一時帰国した彼女と会ったとき、実は数年前のある夜に屋外で深刻に怖い体験をしたんだよねと打ち明けてくれた。そしてその話をしてくれた同じ日に、喫茶店のメロンソーダをストローでぶくぶくして「人生楽しい」と笑っていた。世界は残酷さときらめきに満ちていた。

みなに幸あれ。

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