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エッセイ〜「食料」について

おはようございます。

母から聞いた話です。

母と子、又は父と子
などの「ひとり親世帯」が増えてきているそうです。

あるひとり親世帯である
お母さんの悩みです。

平日は給食があるから
子供たちは「お腹いっぱい」
食べることができます。

しかし、学校が休みの時は
違います。

三食、全て賄わなければ
なりません。

そこでお母さんは
夜ご飯を抜いて
1日2食で我慢しているそうです。

日本は世界に類をみない
「フードロス」の国です。

そんな国なのに
まともに食べられない人がいる。

なんだか矛盾していると思います。

全国的にある
NPOなどの
とある
「フードバンク」では
寄付金が100分の1までで減ったりしているそうです。

日本の食料自給率など
「有事の際」を考えるのも
必要と言う意見もあります。
自国で食べ物を賄えないと
「有事」があった場合
困るのは目ににえています。

しかし「有事」ではなく
それは「異常事態」と私は考えます。

すでに
食べることのできない人がいるのに
なぜ「仮定」の問題のことが
優先して問題視されて
出てくるのでしょうか?

「食べ物」に感謝する。
「いただきます」をいう。
使った食器は片付ける。

日常の当たり前の所作を
超えてまで議論する意味は
ナンセンスな部分も出てくると思います。

「脚下照顧」
足元をしっかり見つめて
一人一人が適切にしっかりとした「生活」を送る。

それだけで
「異常事態」をあおる風潮
は減ると思います。

また、慎ましい生活は
「いざという時」(南海トラフ地震など)
の備えになる暮らしです。

私たちは大きな変革は
難しいですが
日常の小さな自己改善ならできるはずです。

そんな思いで
生活できたら
きっと平穏に暮らせるといったら
単なる妄想でしょうか?

お盆故にに思うことでした。

おわり

追記
実際には
私たちのできることは
限りがあると思います。
ですから、小さくとも
できることから
できる範囲でやりたいと
私は思っています。

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