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死にたい、は、どうして(補足)

需要があるかはおいておいて.
もうひとつの記事で、長くなるので割愛したものを記します.
学生の時の手記(メンタルサイト内のつぶやき)一部

どうしたらいいんだろうな/なんだかもうわからない/死にたい理由も今じゃ曖昧/わたし、なんで死にたいんだろう

みんなががんばっているのに自分だけがつらいって思っている/もっとまともに/もっとちゃんとがんばりなおしてみます

考えがまとまらない/助けを求めるのもどうでもいい/死なずに今日を生きていることがすでに「生きたい」?/友人に会いたいと思うのも「生きたい?」/今は心配もアドバイスも受け取る資格がない

生きたい人に生きていてほしい/死にたい人にもできる限りで生きていてほしい/生きるのは簡単で難しい

命はいっこ、だから大切/そんなの分かっている/死ぬために正当な言い訳を探すのはだめ?

この先を生きると約束するのは難しい/だけれど支えてもらって立っているわたしにできることはがんばりたい/そんな明るい気持ち/「わたしはひとりではない」と感じさせてくれてありがとう

とても穏やかな気分/なるべく長く続きますように


わたしにとって、生き死には、かなり身近なテーマです.
これ全部、軽い気持ちで言っているわけではありません.
生きることがどれだけ貴重か有難いことか、分かっているから余計に、死にたい自分が許せなくもありました.
今もそうです.
実行するのはまったくもって別問題なので、触れませんが、「死にたい」と思うのは、わるいことではないとわたしは思います.
他人は否定するやもしれませんけど、自分だけでも、「死にたいなんて思う自分は最低だ」みたいに思わないであげてほしいなと、思います.

余談記事はここまでです.
ありがとうございました.

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