この街がすき。いつか子どもが家を巣立ってもお世話になりたい家具屋さんの話。
昔ながらの町工場がある街に住んでいる。
誰もすまなくなった民家や、後継のない看板だけ残る喫茶店、かつて街の何でも屋さんだった電気屋さん。
なくなる店に、残る店。
さまざまだ。
新しいお店が入ったり出たりしながら街は変わっていく。
私の頼りにするその店は、かつて木材屋さんだった。
今は、家具屋さんであり、雑貨屋さんであり、コーヒー屋さんでもある。
子どもとたまに行く公園の向かいに佇んでいる。
若い人たちがコーヒーを求めて行列をしていることもあるし、誰もいなくてひっそりしていることもある。
うちは、そのお店で2回家具を作ってもらった。
ひとつは、大容量のふとんや災害用備蓄のいれもの。もう一つはテレビ台兼本棚の壁収納だ。
上の子が赤ちゃんのときとちょっとやんちゃなちびすけだった時に作ってもらった。子どもができると収納に悩むというトレンドが見える。
うちのリビングには梁や柱の都合でなんとも使いづらい隅っこの中途半端なスペースがあった。市販の収納家具だと、どうも入らない場所。そこに大型収納を作ってもらった。
そして、子どもの成長と共に増えた絵本の収納場所に困っていた時、テレビを置いていた台が壊れて、棚付きのテレビ収納を作ることになった。こちらも、柱の隣の凹んだ場所で窓もあるから安全面やサイズの制限を考慮すると注文家具しか選択肢がなかった。
どちらの家具も大活躍。
あの家具屋さんがある街に住んでいてよかった。
思い返すと散歩をしていてたまたま家具屋さんを見つけて、そして、相談したのが始まりだった。
これから、夫の書斎をワーキングスペース兼子ども達の勉強スペースにしていきないなあ、と思っており、また家具屋に家具の相談するかもしれない。しないかもしれないけど。
子ども達が家から巣立ったら、おそろいのテイストで私は小さな鏡台でも作ってもらおうかな、とか、妄想している。
おうちにいる時間が長かったコロナ禍で、物が収まった快適な空間にいられてよかった。
家具が来る前には、はみ出たもの、行き場のないものに頭を抱えて気持ちが快晴にならなかった。可愛い子の写真を撮る時に、背景をいつも気にしていた。物が収まると、いつでもどこでもすぐ可愛いと思ったその瞬間に子どもの写真を撮るようになった。
そんな感謝を、家具屋さんを見ると思い出す。
たいてい、下の子を公園に連れて行った時だ。
相談に行った時に暴れる上の子(当時はまだ一人っ子)を制するのが大変だったことを思い出す。担当の家具デザイナーさんが、かわいい木材でできた積み木で遊ばせてくれた。
その上の子は、今では誘ってもめんどくさい〜と言って公園に一緒に来たがらない。
子どもたちはとんでもなく私を嬉しい気持ちにさせ、そして、とんでもなく切ない気持ちにさせる。
それなのに、また家具屋さんの向かいの公園に来てしまう。
切なさを感じることで、私は確かに生きてるんだ、と実感できるからかもしれない。
いつか、テレビ台兼本棚から絵本を片付ける日が来るのだろう。
代わりに何を飾ることになるんだろうか?
いつかは考えないと。
まだまだ考えられないでいる。