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ワーママ43歳になり、何をしてきた人かでなく「この人と一緒に何ができるか」が重要と身に沁みる
仕事で立て続けにあった出来事を記事にしておく。
ひとつめの出来事は、知識経験豊富なのに大勢の前で批判ばかりの人を周囲が「困った人だな」という目で見ていたことだ。
その人は20年以上同じ仕事の経験があるスペシャリストの人で理想が高い。正解をたくさん持っているのに、周囲の人と理想を擦り合わせたり現実を理想に近づける技術がないのだ。(たぶん)
だから浮いてしまう。
勿体無い、けど仕方ない。
批判するのを生業とするなら、サラリーマンは適さない。
もうひとつの出来事は、経験豊かでポジションも高い人がその職位相当の影響力を発揮しておらず、周囲の人がその人を頼れずにいたことだ。
その人は、経歴はピカイチで学歴なども申し分ないはず。ただ、言っていることが概念的だったり教科書みたいで響かないし、相手の人が「的外れだな」と困惑する表情に全く気づいていない。人を動かすのが仕事の職位で必要な、「あなたのチームには、またはあなたには、これをしてほしい」というものが見えない(またはとんちんかんなのに、修正できない)。
だから浮いてしまう。
勿体無い、実に。
そういった人を動かせないリーダーを上司に持つ人たちはかえって団結するかも?
でももし組織におけるリーダーを生業とするなら「組織を設計し、人を動かす」技術がいるのではないか。
このふたつの事例を通して私はつくづく身に沁みたことがある。
それは、経験の長い社会人にとって「経歴🟰何をしてきた人が」よりも大事なのは、「この人と一緒いたら何ができるか」じゃないか、ということだ。
ひとつめの例の人は、もう何年かしたら「批判してほしい」とAIに依頼して出てくる答えで代替できてしまうだろう。
一緒にいても批判ばかりで何も進まない。
正解を作ってくれた組織の力を借りて正解を正解と確認して外れたものを批判してつくった経験よりも、周囲の人が欲しいのは「正解を共に見つけ、それに向けて変化を起こす」ことなのだ。
ふたつめの例の人もまた、「このような状況で理想的なアプローチは」とAIに依頼して出てくる答えと近しいのではないだろうか。
その人くらいの高い職位の人と言えば、組織のゴールや機能を定義したり、それに向けた課題を立てたり立てさせたり、戦略を複数チームで擦り合わせたり戦術を部下に作らせたり…と自分発の仕事が不可欠と思われた。(そればかりじゃなくても)
と、ここまで人のことばかり書いてきたけど私自身はどうなんだろう?
批評や役に立たないアドバイスばかりでいてもいなくてもいい人になっていないか?
この人何がしたいんだろうと思われていないか?
魅力的なアクションを提案できているか?
一緒に仕事をしている人たちがその仕事を良い経験になったと感じてくれているだろうか?
考えるほどゾゾゾーっとしてしまう。
周囲の人たちには、私と一緒にいるとよい仕事ができる!または、これからも良い仕事をしていきたい!と思っていただきたいものである。
そうしないと、ほんとに年金もらうまでに社会で居場所がないかも…!
と他人のふり見て我がふりなおせな1日だった。