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疲れたワーママによる、小学2年生男子の学校生活フォロー

小1の壁、はワーママにとっての脅威となりうるが壁を越えたと思ってもささいな出来事が神経を擦り減らしにかかってくる。

えっ、なにこれ?な珍雑用に果てしなく時間と気力を奪われる日々。

しかし、まだ珍雑用は可愛いものである。成長とともになくなっていくだろうし。

成長とともに増えるのが、子どものフォローだ。特に、小学生。

以前、そうした、小学生の学校生活のフォローついて記事にしたがまた最近いくつか増えてるので記しておく。

ネットで調べごとの宿題

最近の小学生はデジタルネイティブなので調べごとは図書館ではなくネットで行うようである。

家で調べて、書いてまとめる。
そんな宿題が出てしまったので、調べるのを手伝ってあげることになってしまった。

まず、検索画面の入力の手伝い。
次に、出てきた情報のうち、使えるものとそうでないものの選り分け(記事の時期や、内容をもとに判断)。

ネットの情報は子どもだけのために書かれていないので難しい漢字もあるし、不確かなものもある。

それを大人がフォローしないといけない。
むむむ!

ちょっと、これ、子どもが自分だけでできないけど、親の宿題になっていないか?いいのだろうか?

それともうちが遅れててみんな、子どもだけでできてるの?!

九九の暗唱ランダムバージョン

うちは年長さんからCDで九九の歌を流していたものの本人に覚える気がなく、発破をかけて1年生でやっと九九を覚え始めた。

2年生になりたての時、先生が夏が過ぎたら九九をやるから家で慣れさせてくださいとおっしゃっていた。

そして!ついに、秋になり九九が始まった。

それまで国語の教科書や詩の暗唱だった「暗唱」という宿題の中身が九九になった。

それはいいのだが…

なんと、九九の暗唱は、✖️1から9まであがっていく登りに、✖️9から1までさがってくる下りに、ランダムで掛け算をするランダムの3パターンをやれというではないか。

ランダムは、「親に手伝ってもらえって先生が言ってた」と息子は言う。

へ?!

である。私の子どもの頃は(そういう言い方は老害の始まり。いかんいかん、と思うけど)、九九なんてひとりでぶつぶつお経のように唱えていた。親に手伝ってもらうなんてなかったよ?!

(話は逸れるけど、今は宿題の丸つけも親の仕事だ。少子化なのに、先生の負担が多過ぎるのはなぜ?その分、子どもにも負荷がかかってるってこと?!)

今息子が目にしているカラフルで素敵な九九表なんかなくて、CDなんかなくて(当時はまだカセット?でもそんな九九の歌なんてあったのか?!)、ただ数字の羅列のつまらない一覧表を見ながら1人で覚えたんだyo!

そんなこと言っても、令和の小学生に私の感覚を寄せるより、しかたない。

適当にランダムしようと思うのだが、息子曰く、全部で一つの段につき10回でそのうちランダム7回にするから63個出して!とか言ってくる。

63個の1から9の整数をランダムに言うのは何気に苦痛である。

そこで私は、エクセルでRANDBETWEEN(1,9)という関数を使いランダム整数をたくさん出したエクセルファイルを作った。

それを見ながら機械的に読み上げていくことにした。

息子にそのエクセルを見ながら自分でやれと言ったのだが…

「えーだって、先生は親にやってもらえって言うし、何の数字が出るか自分でわかっていたら効果がないから」と宣う。

内心、「めんどくさいな」と思いながら、エクセルをあけてランダム整数を読み上げている。

小学生の宿題っていつから親の宿題になったのかな???

少子化やむなしじゃない?

図工の持ち物

空き箱やトイレットペーパーの芯はストックしてある。

それで安心していたら甘かった。

2、3日連続で「追加」の持ち物が言い渡された。

マッシュルームのパックとか、マニアックなものまで献上して、昨晩は寝る直前急に「まだ追加がいる」というので「はっ!?今朝も持たせたし、昨日も持たせたのに?!」と絶望しつつ「朝聞くから」。

そして、朝、「ペットボトルのかん」がいると言う。

かんってなんだ?!

ペットボトルはちょうどごみに出して在庫ゼロ。
聞くと、蓋がいるようで、しかも、色つきがいいと言う。

たまたま、近所のスーパーでワクチンに変えられるペットボトルの蓋入れに持って行こうと貯めていたストックに色つきのものが幾つかあったのでそれを持たせた。

危ない危ない。
危うく、スーパーのワクチン用収集箱からペットボトルの蓋を抜き出す愚行をするとこだった。

または、朝からコンビニにいりもしないペットボトル飲料を買いに行かされるところだった。

これからは、ペットボトルと蓋も少しストックしておこう。

息子曰く、図工で何を作るか決めたら欲しい材料がいろいろと分かってきたらしい。

あるものでやってくれよ、と泣きそうになる。

夜や朝にコンビニに親が走ったりするの、当たり前なの?!

今の子どもたち

老害の始まりで良くないと思いつつ、昭和の頃は…って思ってしまう。

ないものをどう工夫するか?

あるもので何ができるか?

自分でできることはなんだろう?

それが頭の使い所だった。

服も、おもちゃも、食べ物も。
うちの子たちはいやなものは「いや」とはっきり言う。 

私の子どもの頃は与えられたものに拒否なんてできなかった。それがいいことだとは言わない。

ほしいものがあるのも、好きなものがあるのもいいことだし、自分が「いや」と言う権利があることは身を守る上でも大切だ。

ただ、単に、今の子たちは生きる時代が私たちと違うんだな、と思う。

今の子たちはまた、私たちと違う苦労があり辛さがあり、そして凄さも楽しさもあるんだろうな…

仕事も家事もしつつ、子どもたちの常識に合わせていろいろアップデートするのは、スリリングでチャレンジングで何かに悩む暇もない毎日だ。それは悪くないことかもしれない。

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