「こども会」が全国的に減っているとニュースで見た
とにかく子どもの数が減っているのでこども会も減るんだと思うけれど、こども会が減っているとニュースで見た。
こども会ってそう言えばなんだっけ…
と思って調べてみれば、異年齢の子どもたちの交流を促すための自主的な組織らしい。
思い返すと、幼い頃育った田舎では時折地域の子どもたちが集まっては七夕やお正月の行事をした。
大人もその場にいたから深く考えてなかったけどよく考えたら子どものための集まりを大人が仕切っていただけで。そのような場で異学年の知り合いができたり、知らない大人たちに見守れてきたのだ。
中学年からは引っ越して、地方の子どもの多い地で過ごしたがやはり子どもが集まる会はあった。年末の「お楽しみ会」や運動会などの行事もあったし、ラジオ体操やら他にもなんだかんだで公民館や公園に集ったものだ。
ああした集いは、子ども会の賜物だったのだろうか?
今住んでいる場所やその近辺に関しては、私と夫は子ども会の活動に参加していないものの、町内会がありその一部に子ども会もあるのかもしれない。地域の祭りの時に子ども神輿があったり、子ども祭りがあったりする。
保育園時代の友達に誘われて、町内会のエリアをまたいでそうした子ども神輿や子ども祭りにお邪魔させていただく機会がある。
つくづく、良いものだなあ…と思う。
なにより、子どもたちが集まっている風景を見ると元気が出る。もちろん、知ってる子も知らない子も。
そんな子どもたちを見守り、子どもたちを楽しませてくれる大人たちを見ると励まされる。
顔見知りの大人たちは、子どもの成長を喜び、新しく仲間入りした赤ちゃんをかわるがわる抱っこしたり、兄弟姉妹を見比べて「小さい頃の◯ちゃんに似てる」などと感動したり、和気あいあいとして微笑ましい。
町の中に集う子どもたちは、ただ、たまたま縁あって近くで育った子たち。
新しい友人ができても、新しい世界へ飛び出しても、会えば自然と隣同士に並びあう「ふるさとの友人たち」がいるのは頼もしい。そうした場を「子ども会」が作ってくれていると思うと感謝の気持ちでいっぱいになる。
テレビのニュースでみた子ども会の運営の様子を見るとなんとなく、近年解体の進むPTAを彷彿とさせるものがある。
重い負担を背負うだけの人手がない、共働き世帯が増えて担い手がいない…そんなメッセージが画像には乗っかってきた印象である。
さらに、映像に出てきた子どもは、子ども会の行事で初めての経験もできて、子ども会がなくなってしまうのが残念だとコメントしていた。
運営が立ち行かなくなる一方で子どもたちのためにはなっているとされるのが「子ども会」。ニュースではさらに、大学生を中心に子ども会を継続する事例が紹介された。
「大人ができなければ自分たちで」そう語る子ども会のに担い手を見て、なんとなく、大人が責任を手放しているかのような構成が気になってしまった。その前のシーンで「フルタイムで働いていて子ども会の運営が大変」と語る女性が出てきたからだ。
子どもも多くいて、専業主婦もまた多くいた時には子ども会が減るなどと騒ぎ立てられることもないだろうに…
つくづく、女性だけが期待されたり失望されたりする運命なのかと被害妄想をしてしまう。
確かに、私の住む地域の方々が子どものため投じている時間や労力を考えると頭が上がらない。
子どもの数が減ったり、子どもたちの日常生活の仕方が変わってくれば、子ども会自体が「なくてもいいもの」にはなるかもしれない。
そんな時もくるかもしれないけどそれまでに子どもを取り巻く「よい環境」を経験できることをありがたく思うところだ。
そして専業主婦だった母もまた地域の子どもたちのため奔走してたんだなと少し誇らしく思った。