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お母さんというポジション

ぼけっとインスタを眺めていたら知らないインスタグラマーさんの投稿が流れてきた。

私のポジションは…

から始まる書き出しとともに背景にはおいしそうなご飯を用意する映像が!

ポジションとは「お母さん」のことだった。

お母さんというポジションは多忙で、役割も多岐に渡り、子どもの成長に合わせた膨大な知識がいる。どんな話題を振られても会話を成立させる。

そんな、名前も知らないインスタグラマーさんの、お母さんというポジションに誇りをもって家族のために仕事をする姿を見て随分と心が揺さぶられた。

サッカーや野球やアメフトなど、スポーツにもポジションがある。

会社の中にも、ポジションがある。

それと同じように、家族の中にもポジションがある。

それぞれのプレイヤーがイキイキと活躍できるように、心を配る人がいる。

スポーツなら監督やコーチやマネージャーかもしれないし、会社なら役員や管理職だろうか?

お母さんというポジションは特殊で、まず、なろうと思ったら誰でもいつでもなれるわけでなく、反対になりたくなくてもなってしまうこともある。

だけども、もし、「素晴らしいポジションにつけた」と思えたら、どこまでも発展するポジションだろうな、と思う。

これまたボケっと、NHKの番組を見ていたらフランスの認知症の当事者が暮らす先進的な施設が映っていてまだ私の母より若い女性が出ていた。

彼女は、認知症の症状が進み、一人娘との会話の中で理解できない部分が出てきたり、記憶があいまいになったり、まるで自分の世界が閉じていくような感覚に怒りや恐怖を覚えると言っていた。

そんな彼女が、一人娘とビデオ電話をしているときに娘に語りかけていた。

私が生み出した一番美しいものは、あなた。

失われる記憶に、整理のつかない自分の感情、そして、なくなっていく「私」。

なくなっていく自分を見つめながら何を思いながら生きていけば、あるいは、死に向かっていけばよいのだろうか。

この世の何者でもなくなっていく自分が最後に強く感じる居場所はもしかしたら、お母さんというポジションの跡地なのかもしれない。

あるいは人は老いると新しい記憶からなくしていくと聞くから、自分が子どもというポジションでいられたときの光景なのかもしれない。

今日は家族のために冷蔵庫にある豚ロースで豚カツを作ろうと思っている。

いずれ老いて何もできなくなったときに、仕事をして豚カツを揚げて、保育園に駆け込んで、小学生に「宿題やりなよー」と騒ぐ自分を微笑ましく思い出すかもしれない。

そんな日々の記憶がもし失われてしまうのならこうして書き出しておくのもまたよいものだな、と思う。

お母さんというポジションに紐付く思い出はあまりに多いから。

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