
少年よ大志を抱け!大きな夢は若いうちに!(大学卒業から四半世紀に思うこと)
もう43歳の私は人生100年時代で今からなんでもできると言われてもさすがに、宇宙飛行士になることも、バレリーナになることもなかろう。
私の学生時代、友人には将来への展望をもって大学の門戸を叩いた人もちらほらいた。
国連とか国際機関とか、大学教授とか、そういう特殊な世界から、アナウンサーとかバンカーとか商社マンとか様々だった。
私はそういう夢みたいなものが何もなく、好きな勉強だけできる期間を謳歌したのちはただのサラリーマンになる意思を固めぷらぷらフーテンのサラリーマンを続け今に至る。
だから、大学を卒業し20年が経ち、高い志を持った学友はとんでもない場所へ羽ばたいている。国連、国際機関、大学の先生、中央省庁、商社、テレビ局、都市銀行、航空会社、マスコミや広告代理店、華々しい企業、等。
そんな友人たちを横目に見つつ、私は「人生の早い段階で夢を持つこと」の大事さに気づくのである。
彼ら彼女らは、子どもの頃から高い目標に向かってぐいぐい進んで、一般の人から「雲の上」にすら見えそうな場所に登るロープをちゃんと掴んでいるのである。
30歳頃にアメリカ出張でたまたま、現地に住んでいた大学時代の同級生(既婚)に会ったら「30までにドクター取る目標が叶ってよかった」と言っていて、その後、ドクターを引っ提げてイギリスの国立大学で教鞭をとっている。30までにドクター取得はいつ掲げた目標なのだろうか?さらに、イギリスでの就職もいつ決めたのだろう?きっと先んじて目指していたに違いない(でないと、ポストに応募できないもんね)
30歳の時点で社会人としての立ち位置も定まらず、結婚すらしていなかった私は、同じ30年くらい生きてきたこの学友との差を痛感したのである。
人生の目標は、早く決まるほど良いし、高いほど良い、と。
学生時代の最後は国際法のゼミに所属して国際法を学んでいたのだけども、その界隈も幼い頃からの夢を追っている人がいた。
そこで国際司法裁判所という「職場」があることを知ったし、あらゆる国際機関では国際法に明るい人の求人を出していることを知った。面白そうとその時は思ったけど、そのような場所を目指す人がどんな人たちなのか、そのような職に就いた場合どんなキャリアパスになるのか、どこに住んでどんな人生を誰と送るのか全く想像がつかなかった。
もし、本気で目指しているのなら「どうしようかな」とか興味本位で眺めるのでなくそのまま海外大学に進学しその道へ進んでいくだろう。だって本気で目指す人たちはそのために、その大学に、その学科に来たのである。
YouTubeで東大生に、どんな資格を取りたいですか?と聞いている動画をたまたま目にした。
ひとりは医師免許、もうひとりは韓国語の試験とファイナンス資格、もうひとりは弁護士だった。その弁護士資格を取りたい人は国際司法裁判所で働きたいから国連英検も取りたいと言っていた。
そう、これ、これである。
本物を目指す、てっぺんを取る。
大きな夢を抱くなら若いうちに!である。
こうやって、エリート、と言ったらいいのかわからないけれど、尖った人はできていくんだろうなと思う。
まさに、「少年よ、大志を抱け」である。
たまたま某オリンピックメダリストの講演を聞いた時も全く同じ話があった。
その人は3歳で競技に出会いそこですでに「金メダル」が欲しい!とどうしても思ったそうだ。銀じゃやだ、金がいい!なのだ。そしてオリンピックで何度も金を獲得した。
勝つために何が大事だと思いますか?と問われて「夢と目標」と答えていた。
自分の子たちがそんな大物になるとは普通に思えないが(親が普通なので、という意味で)、大きな夢を見ることは盛大に讃えたいと思う。
「そんなの、できるわけない」
何もやらないうちにそんな言葉にくじけてほしくない。
と、自分が平凡なくせに思っている。