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土曜出勤で夫に子2人任せるが申し訳なく思わないことに決めた理由

この記事は、読む方によってはチクリと刺激を感じてしまうかもしれないことをお断りしておく。

誰かを追い詰めるような意図は全くなく、ただ、気の持ち方ってうつろうんだな〜という感想だったり、時がたてば見える物も変わるんだな、との気づきの記録のつもりで書いていく。

🗒️
また新しい年が始まる。

今勤める企業では、社員が集まる集会が春になる前の土曜日に執り行われる。(コロナ明けて昨年から対面に戻った)

そのため土曜日に家を空けることに。
夫にやんちゃ坊主2人を任せる。
しかも、月を分けて2回これが発生する。

以前は「めちゃごめん」と小さくなってお願いしていた。

前職では似たイベントが平日夜にあったときがあり、途中退散したくらいだ。

しかし、私は、もう、「お願いね」とお願いすることにした。「ごめん」はつけない。

なぜか。

夫の宿泊出張が何度かあったがごめんなどとお願いされたことはないのだ。私も、謝罪する必要はないと思う。

子どもたちには、「仕事に行くから、一緒に過ごせずごめんね」とは言うかもしれない。

また、私は行くことに決めたと言っても仕事なのだから、責任に応じ勤めるべきと考える(感謝はするけど!)。別に行かなくて良いと思えば欠席にしたらいいのである。でも、立場として行くべき、と感じる。

もちろん、夫にあまりに無理があれば心苦しさは感じるかもしれないがまぁ、最近は、なんとかなるさと思えるくらいの希望がある。
(子どもが生まれたてなら、きっと行けない)

今ならむしろ、私の不在で全員が少し成長するかも?!
3人のチームでがんばってもらいたい。

私も「任せる」ということを学びつつある。

子ども(と夫)が成長したから罪悪感が減った、ということかもしれない。この点は個人差が大いにありそう。

そして、最後であり、今強く思う理由。

母親業があるから仕事をできない、またはその逆の思考回路からそろそろ解放されたいのだ。

「仕事はする。母親業もする。ただし、私は1人の人間なので、瞬間瞬間には、どちらかしかできない」

ただ、それだけなのだ、と思いたい。

仕事に行く。
ただ、その日も家にいるときは母親をする。

母親を言い訳に仕事をさぼるでも、仕事を言い訳に母親をさぼるでもなく、ただ、どちらも1人の人間がしているだけ。

それでいいのではないか。

ここまで来るまでにたくさんの苦労も後悔も葛藤も苦しみも嫌悪も苦悩もあった。

そして、いま、私のいない夫と子どもたちを信じて託す。案外お母さんいなくても平気で寂しいかもしれないけど、夫に恨まれるかもしれないけど、それも受け入れる。

そんな気分。

✏️
子どもが小さくて病気しがちだったりママママ言って離れられない時期ならば、これほどサッパリ言い切れない私がいるだろう。

そうした、身を引き裂かれるような時期からいったんは脱皮したと思える心境なのかもしれない。

とは言えまたすぐに受験やら介護やらで苦悩の日々に戻るかもわからないが。そのときはそのとき。

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