何かとままならないワーママ、それでも幸せを感じる方法を会得する
幸せに「なる」方法ではないですよ。
みなさん、幸せを「感じて」ますか?
🍊
上の子は少しずつ「ママに口出しされるのがいや!」と、親離れのスタートラインにいることを感じさせ、下の子は来年年少さんになるのでいろんなことが1人でできるようになるのかな?と感じさせる。
決して順風満帆ではない子育て。
いや、それどころか「なんでうちの子たちはこんなにお出来がお悪いのか…」とよく思うのだが。
ため息ばかりでなく幸せを感じつつ生きていけたらとてもいい!と思っている。
実際、幸せは、ぐっちゃり絡まるめんどいことや、ゲローって感じのあれこれの中にあるように感じられる。過ぎてから「ああ、あの時幸せだったんだ」と思ったり。
でも、「今、幸せ!」と、過ぎゆく前に思えたら、より幸せなのでは?
上の子がまだ小さく、寝かせたりご飯を食べさせてあげていたら生活が回っていた頃私は仕事でストレスを溜めまくり(今は、家庭で悩まされることの方がストレスで逆転している!)、電話で話を聞いてもらう有料カウンセリングを受けたことがある。
その時に「どんな些細なことでもいいから、自分が幸せだな、と思うときにそれを噛み締めてみて」と言われたのだ。
例えば…とそのカウンセラーさんが言うには「ケーキを食べたら、『ああ、おいしい』と言ってよく味わうのがそれ」とのこと。
その頃、ピンと来なかった私。
でも思い返すと、上の子の寝る前の絵本タイムに「かわいいね」とよしよししたり、「だいすきだよ」とギュッしたり、ぷっくりしたほっぺを横から眺めて目を細めたり、そんな時間がカウンセラーさんの言う「幸せをかみしめる」時間だったのかもしれない。
当時は自覚のないまま実践していた「幸せを感じる」という行為について、自分の中でとっても有益な発見をした。
やっと結論だけど…
幸せを感じるのにいいやり方は「私、幸せだなぁ」と声に出して言ってしまうことである。
書いたりするとなんだか嘘っぽく見えたり、ちょっと自分ラブ味が出て抵抗を感じそうだが、言ってしまったことは形に残らないから恥ずかしくない。
そして、自分の耳に届いて脳内に響いてくるから、言って、さらに「ほぅ!そうなんだ!」とより深く感じるのである。
1人で「私幸せ」と口に出して言うのはしかしなんだかこそばゆい。
より実行しやすいシチュエーションは、子どもに「ママ、しあわせ」と言ってしまうことである。
10kgを悠に超えても抱っこ抱っこうるさいちびすけ(3歳児)を抱っこして保育園から家向かうとき、ランダムな思いつきで「幸せなら手を叩こう」を歌った。
すると、ちびすけが、「トントン」と私の背中を叩いてくれた。
かわいいな、と思いほほえみながら2番の「しあわせならあしならそ」に入ると、今度は足を私の体にギュッギュと押し付けてきた。
調子乗って次に「しあわせなら手を叩こう〜足鳴らそう〜」と歌うと、背中トントンと足ギュッを両方やってくれた。
もう私もおもしろいやら、ちびすけが可愛いやらで「ママ、しあわせだよ」と思わず口にしてしまった。
すると、その言葉が自分の脳内に響いて、いつもより、より深く幸せを感じられたのである。
何年かかかって、カウンセラーさんの言う幸せを感じて噛み締めるを私の中で会得できた予感がした。
「ママしあわせ」がどんなときに口から出てくるのかを論理的に解明してみたい気持ちがなくはないが、「感じる」というのはやはり自然とそうなるから感じる、なのかもしれないと思ったりする(平安時代の、「あはれ」的な?)。
私が「ママしあわせ」を思わず口にする瞬間は他にも、2人の子どもたちに挟まれて寝る時や車の後部座席に乗る時なんかがあった。
つくづく、今がエモい育児の真っ盛り。
今度は、子どもたちに頼らず自分の「しあわせ」を口に出せる瞬間が来るといいなと思う。
✏️保育園の帰り道はエモい育児の宝庫
✏️狭い後部座席の真ん中乗ってたのは「ママこっち来て」と言われたからだったのか!1年が経ってもう、そんなこと言ってもらえない。
✏️どうやら私は、子育てを通して、過去に戻りたいとも思わないし未来に縋りたいとも思わない自分を手に入れたらしい。