サラリーマンの折り返しすぎちゃってるのかも?今後何に注力していこう、と夫婦で考えてみたい。
夫の今朝の発言からたくさんのことを考えたので、noteでもシェアしようと思う。
きっかけは退職までの年数
それは、「退職までの年数、思ったより少ないね?!」という言葉で始まった。
ずっと働くのがめんどいと言ってきた夫。
だから「少しだから頑張って働こう」なのか?「適当に過ごしててもやりきれるんじゃないか」なのか?「どう過ごそう?」なのか?分からない。
なにか思うところがあるのだろう。
最近私も将来の仕事を考えてた
実は、私も最近、全く同じようなことを考えていた。
ただ、夫とは全く違う内容だと思う。
真っ先に考えたのは、もしサラリーマン人生を全うして60とか65で退職しても、私はまだ働きたいんだけど、もしそうなら、どんな職につけるのだろうか?ということ。
周到に準備をしないと、60を過ぎて呆然としてしまう気がする。
60からやりたいことの準備は今からやっても決して遅くないのではないか?
だいたい、60までサラリーマン人生を持続できるかも分からない。
子どもたちに手がかかりすぎるかもしれないし、親や自分や配偶者が病気になるかもしれないし。その場合は、サラリーマン生活を早期に切り上げる必要がある。その時に仕事ができるかはそれまでの準備次第だろう。
今は、今のプラットフォームでより多く稼ぐことよりも、プラットフォームの見直しを含めて先を見据えた種まきをすべきでは?
サラリーマン生活折返し、考えざるを得ないあれこれ
将来の仕事像を考える経緯はいろいろある。
サラリーマン生活の燃料だった、会社を通しての社会貢献という考え方が揺らぎ始めたこと。(誰も悪くない。会社の環境の変化などで)
サラリーマンとしての自分の可能性にもはや希望を感じられないこと(年齢的なものや、ワーママという状況か?)
子どもの成長に伴い、子どもにまつわる興味関心や知的好奇心が広範囲に拡大していること
子どもたちの教育資金として目標にしてきた額を確保しつつあること(独身時代から投資してきた昔の私に感謝)
子どもの成長段階を鑑みて、ただ稼ぐ、という段階からお金をどう使うか?により注目すべき時期に入り、稼ぐために犠牲にすべきものが減っていること
つまり、ランニングの生活費プラス将来の蓄えさえ維持できれば、もう大きく稼ぐことに対してパワーを使うべきではないのだ。それに、そんなことも難しい年齢にさしかかっているように思う。悲しい現実。
現実にどう向き合う?
前向きに捉えると、
会社に依存してきた収入源と会社にかけてきた時間を見直し、人生への備えを金銭面以外でもしていく時期だよ!
というアラートに気づけたことになる。
これからどうしようかな?
中でもとりわけ関心を寄せるのは、子どものために確保すべき時間と労力だ。
上の子が就学してから、さまざまなな課題を突きつけられ、これからも手をかけるべき分野や、下の子の未就学時代に注力すべき分野について学ぶ日々。
子どもはほっておいても育つ、かも知れないが、手をかけることでより磨かれ光輝く家庭の事例もたくさん目にしている。そして、ケアが大事な子どもや、そういう時期というものもある。
子どもたちの未来は私の命が果ててもなお続いていく可能性が高いのだ。
ならば、と、私はこれから自分の成長のために使ってきた時間を子どもの成長により多くかけていきたい気持ちになっている。(もちろん、私自身のために使う時間が、子どものためにならない、とは思わない)
残された就業人生が案外短い、という夫は何を考えてどうしたいかは分からない。
けど、自分と家族のために、これからどう時間や労力を使っていくか、真剣に考え始めていることは確かだ。
しめしめ、これは良い流れではないか??
これから、夫と擦り合わせていきたい。
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