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自己憐憫はなんの役にも立たないけど止められなくなるがときあるワーママ
ある程度偉い人が揃う日でも自分は出社しなかったりすると「子育て社員はやる気がない」と思われているような後ろめたい気持ちになる。
(もやもやするなら出社すればいいのに、はい、私の怠慢であります)
子育てしてると後ろ指を刺されているような気分になる、たまに。
すでに5年以上前になるが(独身)女性ばかりの職場で私しかママがいなかったときは、私が帰る時間からみんなで何かをし出したり、在宅勤務する人が珍しかったので私の出社日に絞ると会議が設定しづらいような様子を出されて辛かった。
その後、その職場はママも増えたし在宅勤務が普及してよかったね、と思う。
初めての初孫で義母からのお小言もあり、初めての育児と仕事の両立もうまくいかなくて、夫ともギクシャクしてあの頃は、ワーママとして最も辛かった頃だ。
そうなってくると「私って可哀想」と自己憐憫ループに入ってしまう。
家庭ではノンストップの家事育児。
やってもやっても何も終わらなくて、でも、子どもがかわいくて、たったそれだけのエネルギー源で気合いで乗り切った気がする。
ほんとに、はて?。
どうやって生き延びたのだろうか?
今も思う。
自分が歳をとったからか、子どもたちも成長したからか、仕事がなんとかスランプを抜けたからか、姑も私の子ども以外に興味対象ができたからか、コロナ禍で世の中が自分にとってよい向きに動いたからか。
しかし、物事いい時ばかりではない。
また一つこんがらがると、「また!私って可哀想」みたいになってしまう。かつてより傷は浅いけど。ほんのささいなことで自己憐憫ループに入る時はよほど疲れている。
自己憐憫ループに入る時のきっかけの小さが自分のパワーの蓄えの小ささで、余力のバロメーターになる。
そんな自己憐憫ループに入りそうになる出来事があった。
マンションのエレベーターにこんな貼り紙が。
お子様が各階のボタンを押すなどするとエレベーターが遅延し迷惑がかかります。
それ以外にも、お子様のいたずらのないように、家庭でよく話してください。
青ざめた。
下の子はエレベーターは常に親同伴だが、余計なボタンを押してしまうことはある。見つけたら慌てて取り消す。上の子は一人でエレベーターに乗ることもあるがさすがに、普段もしていないし、そういったいたずらはしないと信じるしかない。
気まずいことに、下に行きたいのに、下の子が「上ボタン」を押して上の階まで行って上の階の住人と鉢合わせその貼り紙に気づいた。
辛くて涙が出そうだった。
他の住人と居合わせるのが怖い。
我が家が原因で通報されたかもしれない。
そんなふうに考えてしまう。
良い子の親だったら楽なのにな…そんな非現実的な思考に囚われたり。
どんな親も子育てで全く悩まないなんてことはない。良い子の親は当然努力もしているし、私が未熟な母親なだけ…毎日死にものぐるいで生きてるのに私はやっぱりダメなんだ…
元気がないと、そんなふうに、暗黒の世界に取り込まれて行く。
「いやいや、誰もそこまで言ってないし、うちの子以外にエレベーターのボタン押しまくってる子いるかもよ?」
少し落ち着くようにと諭すイマジナリー私も出てくる。
自己憐憫ループに入らずに、普通に、子どもたちに注意して善い行いをさせればいいだけなので自己憐憫はなんの役にも立たない。
自分のパワーの蓄えを増やして負の感情に引きずられないことが大切なのだと思う。
ではなぜパワーの蓄えが減ってしまったかと言うと…思い当たるのは、最近子どもに怒ったり隠れてため息をついたりしていることだ。
人に対してネガティブな態度を取ることはそれだけ自分のパワーを削ぐのだと思う。
子育ては思い通りにいかないことの連続。だからこそ、それを楽しむ余裕が欲しいってアドバイスをよくきく。それ!!すごい実践したい、どうやったらできるだろうか???
🤣